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2006年08月09日(水) 歌好き親子。


歌が好き。

高校の時少しと、20代の半ばから社会人合唱団に入ったりした。
女声の繊細な美しさと混声の迫力、どちらを選ぶか迷ったが
諸般の都合で女声になった。初めの合唱団ではソプラノ(セカンド)
だった。
私が入団する前は全国で大きな賞も手にした事がある合唱団で
あったらしいのだが、入団して何年かして内紛で潰れてしまった。
直にはかかわってないが、怖いものを見たな〜と思った。

プライベートがごたごたしたので、メンバーが次々と他の女声や混声の
合唱団へと移る中、私は合唱から離れた。

5年ほどして、しぶとく再びもう少し小ぶりの合唱団へ入る。
諸般の都合でこの時も女声であり、パートはメゾ・ソプラノだった。
人には持ち声と言う物がある。ある程度の訓練で高い音などは出るように
なるのだが、持ち声の素晴らしい人には全く叶わない。
持ち声の良さと言うものはその人が歌っているのを聞けば誰にでも判る。
この時の合唱団は小規模だったが、素晴らしい持ち声をした女性が
一人混じっていた。
彼女が音楽を始めたのは成人してからだと言うが、オペラ出身の先生の
個人レッスンを受けていた。元々持っていた声は訓練により使えるように
なったものらしい。
私もその先生の訓練を受けさせて頂いた時期があった。
声帯も細く、おそらく持ち声も全く魅力の無い物であるのだろうが
素晴らしい先生に付いて短期間でも発声を教わった貴重な経験だった。
・・・・・・今では色々と忘れてしまっているが。

その辺りでプライベートがごたごたしたので、私はまた合唱から離れた。
それからはずっと、子育てライフ続行中だ。

合唱はみんなが声を合わせて歌うと言えば、確かにそうなのだけど
ただそれだけではない。一人ひとりが何かの一部になりきって声を出す。
歌を歌っていると言う気は、正直言って余りしないのである。
聴いている人には歌に聞こえると言う感じなのだと思う。


合唱から離れても、歌は好き。
でもって実を言うと、カラオケの方が私にはすっきり感が強い。
自分の声質に合った曲を探すのも楽しい。

「心をなににたとえよう」

ゲド戦記「テルーの歌」レンタルしてたのを息子に見付かった。
どうしても歌えるようになりたいと言う。

「歌はお話と同じだから、言葉の意味を考えながら歌わなければいけません」

自分は洋楽の空耳アワーから始めた癖に我ながら良く言うよ。

息子も歌好きになるのかな?将来グリーなんかで活動したら面白い。
変声期に、言われて声を大事にするようなら、脈はあるかも知れないな。





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