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この日記、タイトルは途中で幾らでも自由に変える事が出来る。 筆記者名も変えられる。 私は一度、どちらも変えている。
タイトルが変わっても、前から書いていた部分はそのまま残るので 本人が削除しない限りは続けて読めるようになっている。
私が初めてつけるweb日記につけたタイトルは
「これも何かの縁だから」 と言う。 ハンドル名は焙煎だった。
その時代から読んで頂いてる方、いつも有難うございます。 これは初耳と言う方、今後ともどうかご贔屓に。
今年も間もなく師走を迎える。 日記ももう直ぐ、始めて丸2年になる。
縁と言う言葉が好きだったのだけれど、縁にも色々な物がある。 全てが良縁ばかりではない。 けれどどんな縁でも、そこから学ぶ物がある。 縁は広大な庭に置かれた飛び石のようでもあり、そこから踏み出して 次の石まで飛んでゆく。
私がこの日記で書いた一番初めは、20年近くも前に辞めた会社の話。 日記なのに。 私はそれほど孤独で、思い出の中に生きていた。 若く、自分にも自身が持て、大した失敗も知らず、未来は幸せなものと 漠然とだけれど信じていられた頃。 子育て真っ盛りで今に追われていたが、子供の手を引いて暗い中に ぽつんと立つ当時の自分の姿が、今も心に浮かぶ。
昔は確かに楽しかった。 いやな事もたくさんあったけれど、肩を叩いて くれる人がいた。 彼らには二度と会えないだろうけれど、彼らが どこかで幸せならば、自分も頑張って生きなければならないんだな、と。 実を付け、枯れるのを静かに待つ冬のバラの写真は アップロードがして 見たかっただけと言うのもあるが、丸きり自身の姿のようだと思う。 凍える中、それでも咲くのが運命であり、しかも決して美しくもない。
どんな縁でも良い、縁に恵まれて欲しい。 それが次への、飛び石になるから。 そんな思いを込めて、日記のタイトルを付けたのだった。
日記のタイトルが変わったのは、一つの縁が終わったと自分が感じた 時だった。 目の前の石が途切れてしまった孤独感に再び襲われた。 縁を信じられなくなったわけではないけれど、次の石を信じて飛ぶ事が 怖く、悲しくなってしまった時だった。
有難い事に、縁は無くなってなどおらず、むしろそこここにある事が 次第に かすんだ目に見えて来るようになった。
タイトルを変えても、ハンドルを変えても、縁は近付き、また遠のき そして一度結ばれた物は、結局 簡単に消えたりはしない事を知った。 縁は切ろうとしさえしなければ、必ずどこかに続いている。 振り返れば今まで飛び越えて来た飛び石が、広い庭の中、長い長い道と なって残っている。
一年をまとめるにはまだ早いわけだが、充実した年であったと思う。
何より望みどおり、縁に恵まれたと言う実感があった。 日記のタイトルから『縁』の字は消えたが、正にその『縁』のお陰で 幸せな一年だったと言えるだろう。
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