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2006年11月26日(日) |
上を見る人、下を見る人。 |
冬の冴え冴えとした空に変わった。
「冬の空気のキーンとした日の月を見てると、自分の存在の小ささに 怖くなる事がない?」
御歳6●才の母が女子高生のような声音で聞いてきた。
「ならない」私は答えた。 別に怖くなったりしない。
「そうかなあ。私はなる。寂しい時も空を見るし、月を見ると自分が 小さいんだなあと思えたり、寂しくなるね」
「全然ならないな。空は綺麗だと思う日はみるけど 月は出ているなあと 思うくらいで」
「学校の帰りに・・・」 母は語り出す。 「独りぼっちですごく寂しくて そう言う時にはいっつも空を見上げてた記憶があるんだよねえ」
「私はいつもしゃがみ込む子供だったからなあ」 と私は答えた。
子供が初めて孤独を感じた時、その状況や風景は心の深くに仕舞い込まれて しまうに違いないが、習性としてその時に取った行動が、大切なものに なると言う事は有り得ると思った。
確かに、母はいつも空を見ている。寂しいと思いながらかなんなのか 月を確かに良く見ており、虹なんかも好きな様子だ。
私の記憶にあるのは地面だ。 寂しいと良く木の棒で土にいたずら書きを した。空は花火が上がるところと言う事で寂しいと言うイメージはないが 地面は寂しいし、また一方で癒される。
母は飛ぶトンボが好きだと言う。私は落ちているトンボをいつも見ている。 目線が微妙に違うのだ。
血液型、星座、イヌ型ネコ型・・・自分を考える材料は色々あるけど 上と下、つい見ちゃうのはどちら?と言うのも面白いと思った。
もちろん私も空は好きである。 ただ目線は常に低い気がする。
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