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また、一旦閉じてたサイトをいじくりまわしてる。
この日記は、サイトが出来る前からじみじみと付けていた。 サイトがお休みしてる時でも、ここだけたま〜に書いてみていたり していたわけだけども。 本当にごくたまにチェックすると「ああ、そだっけ」と思い出す事が あって、それも結構便利だったり。でも紙で書くとなると続かないんで 本当に本来の日記と言う意味合いで書いてる。 それが 続けてる理由の一つ。
もう一つは、やはりwebであるので発信。 webで人と繋がろうとするのはそれ自体、ネットに依存しているのでは ないか?と指摘されて考えた。
かなり以前の事だ。スティングの「孤独のメッセージ」(名曲)を 当時、誰でも彼でも作り始めてたホームページに例えた文を読んだ。 無人島の浜辺に打ち上げられた「SOS」と書かれた紙が入った無数のビン。 読み手のはっきりしない場所へ、延々と発信されるメッセージ。 みな、孤独なのだ、とまあ読んだのは10年以上前である。 PC持ってないからそんなもんかねと思ったものだ。
確かにこう言う事をやっていても一銭にもならない+お金が案外かかってる +リスクもあったりするんだよ+手間も存外かかってる
そうまでしてまでやる意味を 説明しろと言われても好きだからとか 趣味だからとかしかいいようがない。 それこそ物書くにしても作るに してもプロじゃないもん。好き勝手言ってやって発信出来る、普通は 片手間には中々持ち得ない手段なんである。
親しい人にページの存在を知らせる事で 自分の消息を知らせる気持ちに なる事もある。 自分はここでこうしていると。 結果的に不特定多数の目に触れてしまう事を どんな事よりデメリットと とるか、オープンでやる場合は、自己満足でもメリットも何かはあるさと考え 鷹揚に構えてやるか、と言う事かなあと思う。 私は結局、受信も発信も嫌いな方ではないのである。 それって孤独と言う言葉とは少しばかり離れている気がして来る。
砂浜に打ち上げられた無数のメッセージ。 ガラスの瓶の蓋を開け、ちまちま読むのが性分と言う人もいるだろう。 無数とか無限と聞くと人は怯んでしまうが、枯れ木も山の賑わいで ブログも日記も、こうした目的がやや不明なサイトも、詰まらなかった〜 くらいのスタンスで出会って頂いて上等かとも思う。
詰まらないものほど、いざなくなるともっと詰まらないんじゃないか? などと自己弁護を兼ねて思ってみたりもするのだ。
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