不機嫌なブーケ QLOOKアクセス解析

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2007年02月14日(水) 発信。


また、一旦閉じてたサイトをいじくりまわしてる。

この日記は、サイトが出来る前からじみじみと付けていた。
サイトがお休みしてる時でも、ここだけたま〜に書いてみていたり
していたわけだけども。
本当にごくたまにチェックすると「ああ、そだっけ」と思い出す事が
あって、それも結構便利だったり。でも紙で書くとなると続かないんで
本当に本来の日記と言う意味合いで書いてる。
それが 続けてる理由の一つ。

もう一つは、やはりwebであるので発信
webで人と繋がろうとするのはそれ自体、ネットに依存しているのでは
ないか?
と指摘されて考えた。

かなり以前の事だ。スティングの「孤独のメッセージ」(名曲)
当時、誰でも彼でも作り始めてたホームページに例えた文を読んだ。
無人島の浜辺に打ち上げられた「SOS」と書かれた紙が入った無数のビン。
読み手のはっきりしない場所へ、延々と発信されるメッセージ。
みな、孤独なのだ、とまあ読んだのは10年以上前である。
PC持ってないからそんなもんかねと思ったものだ。

確かにこう言う事をやっていても一銭にもならない+お金が案外かかってる
+リスクもあったりするんだよ+手間も存外かかってる


そうまでしてまでやる意味を 説明しろと言われても好きだからとか
趣味だからとかしかいいようがない。 それこそ物書くにしても作るに
してもプロじゃないもん。好き勝手言ってやって発信出来る、普通は
片手間には中々持ち得ない手段なんである。

親しい人にページの存在を知らせる事で 自分の消息を知らせる気持ちに
なる事もある。 自分はここでこうしていると。
結果的に不特定多数の目に触れてしまう事を どんな事よりデメリットと
とるか、オープンでやる場合は、自己満足でもメリットも何かはあるさと考え
鷹揚に構えてやるか、と言う事かなあと思う。
私は結局、受信も発信も嫌いな方ではないのである。
それって孤独と言う言葉とは少しばかり離れている気がして来る。

砂浜に打ち上げられた無数のメッセージ。
ガラスの瓶の蓋を開け、ちまちま読むのが性分と言う人もいるだろう。
無数とか無限と聞くと人は怯んでしまうが、枯れ木も山の賑わいで
ブログも日記も、こうした目的がやや不明なサイトも、詰まらなかった〜
くらいのスタンスで出会って頂いて上等かとも思う。

詰まらないものほど、いざなくなるともっと詰まらないんじゃないか?
などと自己弁護を兼ねて思ってみたりもするのだ。


















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