銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2007年01月02日(火) 何者にもなりたくない、ですか、そうですか。

1月2日という日は、何だか中途半端な日のような気がする。

元旦ほど正月だという実感が湧かず、かといって3日ように正月が終わるのだという感傷に浸るような日でもない。

宙ぶらりんの、持て余し気味の日のような気がする。


僕は昼ごろに目を覚ました。
家族はちょうど外食がてら買い物に行くところだったので、僕もそれについていった。

行った先はダイヤモンドシティキリオというところだった。
ダイヤモンドシティは近年になってできた大型ショッピングセンターで、幅広い年齢層に受け入れられるように、センター内外には実に様々な店舗が軒を連ねている。

僕らはまず腹ごしらえをするために、サンマルクカフェ、という店に入った。

ここは焼きたてパンがバイキング方式で食べることのできるところで、僕のお気に入りの店の一つだ。

ちなみにサンマルクカフェは金沢にもあるが、同じような形式の店ではない。おそらく、客層を考えてその土地にあった形式が採られるのだろう。
正直に言って、僕は金沢にあるサンマルクカフェよりも、そこのサンマルクカフェの方が好きだ。
そこの方が、より安価で、しかも満足度の高い料理を食べることができるからだ。

僕が頼んだメインディッシュは鴨肉のロースト。
僕は鴨肉に目がない。

厚くスライスされた鴨肉をほうばり、それを噛むとおいしい鴨の味がふわっと口の中に広がる。そしてその感触もたまらない。

パンは8個くらい食べただろうか。
数え切れないくらいたくさん食べたので正確な分からない。

食事を終えると、父親は衣服が置いてあるところに行き、妹はゲームセンターに向かった。

妹は「太鼓の達人」が大好きで、ゲームセンターがあるところに行くと、一回はプレイしないと気持ちが治まらず、駄々をこねるらしい。

僕は妹のプレイぶりを見ていた。

妹はやや自閉症気味で、障害者と言っていいほどの知能(いわゆるボーダーの子)しかないので、ゲームでも何でも、あまり上手ではない。

とはいえ、そういうことは本人にとってはどうでもいいことで、自分自身が楽しめればそれでいいらしい様子だった。

僕はゲームセンターの中をぐるりと回ったが、特にやりたいゲームはなかった。昔はゲームセンターを遊び場天国のように思っていたが、今は何の感動も感じない。どうして昔はそんなにゲームセンターが好きだったのか、考えてみると不思議だ。

妹がゲームをやり終えた頃になると、いつの間にか家族全員がその場に揃っていて、そのまま帰ることになった。

家に着いた後、僕は少し寝た。そして起きるころには夕飯が出来ていたのでそれを食べた。

その後、僕は中学時代の友人Mにメールを送った。今暇だったらちょっとお茶でもしないか、という誘いのメールだった。

Mから返事が来た。いつでもいいよ、ということ内容だった。

じゃあ今からそっちへ向かうよ、とメールを送って僕は家を出た。

MはAの家に遊びに来ていた。Aも僕の中学時代の友人だった。MとAはお互いの趣味の方向性が似ていた(二人ともアニメや漫画好き、悪く言えばオタク)ので、とても仲がよく、毎日のようにつるんでいるらしかった。

僕はMとAを僕の車に乗せ、近くのジョイフルに向かった。

ジョイフルはご飯を食べに来る店としてはどうかと思うが、ドリンクバーだけを頼んでたむろするにはいい店だ。

僕ら三人は、午後9時から午前3時半まで、実に6時間半もの時間、そこでとりとめのない話をずっと続けた。

まあ誰しもそうだろうけど、そこで話した内容は本当にどうでもいいようなことばかりだった。逆にどうでもいい話をそれだけの時間続けられたのは、ある意味すごいことなのかもしれない。

話の内容は、もう殆ど忘れてしまった。
お互いの人生観や、最近のニュースの話、今その場にいない共通の知人の話などをした気がする。

その会話の中で僕の印象に残ったのは、Aが言った言葉だった。

それは「おれは何者にもなりたくない」というものだった。

Aはいわゆるニートで、仕事を殆どしない人間なのだが、そういう状態に敢えて身を置いているのは、それが理由らしい。

そう、Aは「敢えて」確信犯的にそうしているのだ。

そのAの考え方をAに直接どうこう言うつもりは、僕には全くない。

それを聞いても僕は「そういう人間もいるんだな」と少し驚き混じりで受け止めるだけだ。

ただ「なるほどなあ」と合点がいったのは、そういう意思を実践しようとすれば当然Aのようにニートになるより他はないのだろう、ということだった。

人は社会で生きていくのに、お金を稼いでいくのには、必ず「何者かにならなければならならない」。それは自明のことだ。

ある人は車の整備士に、ある人は看護師に、ある人は消防士に、警察官に、公務員に、ファイナンシャルプランナーに、教師に、プログラマーになる。とにかく、何かしらの「者」になって生きていく。

Aはそれが嫌だというのだ。

Aいわく「おれはおれのままでいたい」

Aが考える「おれ」とは何なのか、何者かになるということは「おれがおれでなくなる」ことになると本当にそう言えるのか、疑念は湧いたが、そこを深く突っ込んでいくような野暮なことはしなかった。

30歳近い大の大人がそう言うのだ。本人にしか分からない背景を背負っているのだろう。

とはいえ、いつかその背景も深く聞いてみたい気はする。

ジョイフルを出て、僕らは行く当てもなくドライブをした。

ドライブの最中も、話すことは下らないことばかり。
でも、それがいい。

結局、僕が家に帰ったのは午前6時半頃だった。

昼夜が逆転してしまうな、と思いつつ僕はベッドに潜り込んだ。




P.S

2月14日にWEB拍手してくださった方、大変ありがとうございます。
とても嬉しかったです。
御礼を言うのが遅れてすみませんでした m(_ _)m
(この文を見ていただけることを祈ってます)


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