銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2008年05月02日(金) いい本読みました。「墜落遺体」

ここ一週間、ずっとあることについて調べていました。

「JAL123便墜落事故(日航機墜落事故)」
です。


事故があったのは1985年8月12日。
今から20年以上も前の話。

なんで急に調べてみようと思ったのかは忘れました。
ウィキペディアだったのかも。

僕は事故発生当時まだ小学生でしたが、事故のことはよく覚えています。

僕の四つ違いの兄が、夏休みの自由研究のテーマにその事故を取り上げたのですが、僕はその手伝いをさせられたのです。

僕は事故を扱った新聞の切り抜きを画用紙に貼る仕事をしたのですが、
山の濃い緑と、くすぶる炎の鮮やかな赤がとても印象的でした。


当時は「大変なことが起こったんだなあ」と思うくらいでしたが、あらためて事故の様子を調べてみると、本当にとんでもないことだったことが思い知らされます。

死者520名、単独飛行機事故の犠牲者としては世界最大。
有名な歌手(「上を向いて歩こう」の坂本九)や俳優も亡くなっています。

事故を取り上げた書籍は多く、様々な視点から事故の様子が書かれています。

僕はその中の一つ、「墜落遺体(著者飯塚訓)」を読みました。

著者は事故で犠牲になった方の遺体の身元確認作業に関わった方なのですが、遺体の無残さや遺族のいたたまれない様子、作業に携わった人たちの思いを、現場にいたからこそ分かる生々しさで描いています。

飛行機は時速600キロを越える速さで墜落したため、遺体の損傷は激しく、多くは頭部や手足が吹き飛び、また身体の一部(歯、指、皮膚の一部など)しか残らなかったようです。

その描写も傷ましいのですが、本当に心を揺さぶられるのは、遺体を確認する遺族の様子です。

ついに他の部分が見つからなかった夫の中指を愛おしく触れる女性や、家族を失ったお婆ちゃんが毎日遺体安置所を訪れる姿などは、読んでいて自然と涙が流れてきます。


死はとても恐ろしく、怖いものです。

そんな死を目の前にしたとき、
僕は人間の人間らしさ(良くも悪くも)が最も強く現れる
と思っています。

死を覚悟して家族への感謝と思いを遺書に残した男性。

冷静さを失わなかった客室乗務員。

そして、機体が衝突する最後の瞬間まで決して帰還を諦めなかった機長たち。

誇り高い魂があった事実は、僕を勇気付け、励ましてくれるような気がしました。


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