銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2008年05月05日(月) 究極の料理

今日は一日雨模様だったので、ほとんど家でゴロゴロしてました。

昼寝の気持ちいいったらありゃしない。

おかげで溜まった疲れがすっかり消えて、気持ちも前向きになれました。

やっぱり休日は何もしないのが一番、かな?


特に何かに刺激されたでもなく、ふと昔のテレビ番組の映像を思い出した。

それは、どなたか高名な美食家(残念ながら故人)が、料理について語っている場面。

その方が言うには、

「最近『究極の料理』みたいな言い方が流行っているようだけれども、問題は

『誰にとっての究極か』

ということで、それを抜きに語ることはできない」

とのことでした。


リアルタイムで見たときは、

「あー、何かカッコイイこと言ってんなー」

くらいしか思わなかったのですが、未熟ながら社会に出て経験を積ませてもらった今では、
その言葉に心底共感できます。

それって、料理に限らずすごく普遍的なことなんですよね。


人間の考え方は千差万別。一人一人の価値観がある。

そして会社、地域なり、国といったある集団にはそれ固有の考え方がある。

だから、「良いもの」っていうのは、常に「誰にとって」良いものなのかを考えなくちゃいけない。

仕事でもそう。


「○○に関する資料を作ってくれ」

と上司に言われたとする。

よくありがちなのが、作ってみたものの

「これじゃダメ。こうして」

と何回も直されて、仕舞いに

「じゃあお前作れや」

と逆ギレするパターン。

こういうとき、大抵の場合は、部下の方が上司の真意を汲み取れてないのでは。

多分、OKをもらえないのは、

「誰にとって良い資料か」

を考えて作ってないからじゃないかと思う。

その資料とは、

1.誰に見せるのか、あるいは誰にも見せない上司自身のためのものか

2.どんなシチュエーションで見せるのか

3.どの程度重要性があるのか

4.どのように資料が活用されるのか

そういうところを慎重に考えれば、ムダな時間を大幅に削減できるのではないかと。


1.上司だけが見るのなら、見栄えにこだわる必要はないし、

  鉛筆でメモ書きを入れてもよし。

  外部の人間が見るなら、さすがにキレイにまとめないと×。

  見た目でダメだとマイナス評価されやすい。


2.大勢の人に対して大きなスクリーンで見せるのなら、
  
  字は大きく、視覚的な効果を使って見やすくする。
  
  色合いのメリハリがないと見にくい。

  また、資料を見る人が知識を持っている人かそうでないかで
  
  内容を変えないと×。

  専門家でない人が対象なら、専門的な言葉の使用は
  
  できる限り控える。

  逆に専門家ばかりなら、ブレのない表現をするために、
  
  専門用語を使った方が話が早い。


3.ある会議の中のほんの少しの話題程度のものであるなら、
  
  やはり細かいところは不要。

  逆にメインとなる話題であるなら、話題の中心以外に、
  
  関連する事柄についても出来る限り資料に盛り込んで、
  
  比較対照ができるようにする。


4.その資料がその後基礎的資料として様々な場面で使用されることが
  
  予想される場合は、細かい記述や誤解されるような表現を避けると
  
  同時に、視覚的効果を十分使用する。


そんなところかと。


結局これって、

相手の立場に立って考える。

ていうことなんですかねえ。

つまり

小学校から教えられてきたことじゃん

義務教育ってすごい。


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士郎 [MAIL] [HOMEPAGE]

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