僕は昔から「芸術作品」と呼ばれるものが大好きだった。
絵画、映画、写真、彫像、小説……こだわりなく何でも好きだった。
芸術というものが何か、分かったような気になっていた。
それどころか、
「おれは芸術を知っている。お前らは知るまい」
と他人を見下していた。
そんな時、「たけしの誰でもピカソ」という番組を見るようになった。
番組では、シロウト(中にはプロと言える人もいた)が作った「芸術作品・パフォーマンス」を、批評家を始めとする審査員が10点満点で採点するコーナーがあった。
そこで出てくる作品はいつもヘンテコリンなものばかりだった。
「何これ?」
と思うものが高得点だったりした。
僕にはさっぱり分からなかった。
「あいつらの感覚がおかしいんだ。おれの方が芸術を知っているんだ」
と思おうとしたけど、無理だった。
自分が、
実は芸術のことをこれっぽっちも理解していないんだ、
と悟るには十分な刺激だった。
その後、僕は大学を卒業し働き始め、芸術どころか本の一つも読まなくなった。
芸術のことなど、思い返すこともなくなった。
そんなある日、一つの芸術作品に出会った。
出会ったといっても、テレビで見ただけだったと思う。
その作品は、かなりキツイ原色の色とりどりの花びらのような形のものを何層にも重ねてバランスの悪いひと塊にしたモニュメント(?)のようなものだった。
その解説はこんな感じだった。
「この作品は『美しい』ということそのものを表現したものです」
なるほどと僕は思った。
その作品がブサイクなひと塊の形をしているのは、
形を「ある何か」にすることを拒絶しているからなんだ。
そしてこれは何かの形を通して「美しさ」を表現しようとしていない……。
そう思った瞬間、それまで見てきた「芸術作品」が次々と脳裏をよぎり、
急に僕は
「ああ、そうだったのか。それが芸術なんだ」
と妙に納得した。
僕が出した「芸術とは何か」という問題についての解答はこうだ。
「人間の感情・感覚を、本来それらが生じる原因となる具体的経験とは別の方法で再構成してみせるもの」
神の偉大さを知るには、神に出会うしかないし、戦争の悲惨さを知るには、自分で戦場に立つしか、本来方法はない。
でも、芸術はそれを可能にする。
ミケランジェロやラファエロの作品を通じて、僕らは神を信じる人が感じている神の偉大さというものを感じ取ることができる。
では、優れた芸術とは何なのか?
「優れた芸術は、他の表現に取って代わることができない」
だから、優れた芸術は言葉にすることができない。
ヘンテコリンな芸術作品を見て理解できなかったのは当然だった。
だって、それそのものが新しい一つの言葉なのだから。
僕の理解は、間違っているかもしれない。
でも、僕は気にしない。
僕はその解釈を、結構気に入っている。
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