1人と1匹の日常 |
2005年01月04日(火) あの頃の話をしよう(7) |
介助犬りんくうのユーザーに決まったというお知らせをもらってから、これから始まる合同訓練に向けての準備に入った。 喜んでばかりでは、いられない。 合同訓練をするセンターまでは、自宅から片道3時間近くはかかる。 それまで、電車で長い時間移動したことのなかったわたしは、体力面でも心配だった。 そのことに関しては、トレーナーさんが近くの車イスでも利用できる、泊まる施設を探して下さって、そこを利用することにした。 2泊3日で集中して、合同訓練は行われることになった。 合同訓練が始まるまで、外での生活に、少しでも、自分でできることを増やしたいと、リハビリに集中した。 当時お世話になっていた担当のリハビリスタッフに、介助犬と生活することになったことを伝えた。 しかし、帰ったきた反応は、賛成する答えではなく、「どうして?介助犬と生活するの?」と疑問に持たれた質問だった。 その時は、まだ立つことはでき、かろうじてつかまっては、自分の足で数歩歩いて移動できる状態だった。 家の中では、這って生活していた。 着替えも時間はかかっても、自分でできた。 部屋のドアも、冷蔵庫も、握力がなくても、紐を付けたり工夫をすれば、開けることは可能だ。 それに、その時のわたしは、自分でしようと努力する意欲はなく、家族に頼ろうとする気持ちがあった。 同居している家族が、手伝おうと声を掛けてくれれば、甘えてしまう部分があった。 できないことをできるようになりたい。という気持ちよりも、できる人が手伝ってよ。という思いがあったのも、確かだ。 リハビリのスタッフの方は、そんなわたしの気持ちを見抜かれていたのかもしれない。 「介助犬は、もっと動けない、障害の重い人が持つのだよ。」 「あなたは、介助犬に頼ろう、甘えようとしている。」 その日、看護師さんから、障害者のための職業訓練所に進んだらどうだろうという意見をもらった。 いつまでも、両親に頼り、負担を掛けるわけにはいかない。 もっと現実的な方向に進んでみたら、と・・・。 あの時のわたしには、夢があった。 車イスでも、周りの友達と同じように、ふつうに社会に出たいと。 それには、まずは、介助犬との暮らしを、必要としていた。 何日も考えてみた。その他、病院や地域で関わっていた人、同じように障害を持つ友達に、相談もした。 そして、自分で出した答が、りんくうとの共の生活のスタートだった。 |
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