子供の頃 どうしてもそれがないと眠れないものがあった。 ヨレヨレクタクタになった色褪せたタオルケット。 こっそり”ねんね毛布”って呼んでた。
わたしはそれを片手で触りながらその心地良い柔らかさに 安心したような気持ちになって寝るのが毎日の習慣だった。
このクタクタがいいのに 時々アタリマエだけど母が洗濯して その時は なんだかよそよそしいような サラッと感に変わってしまってて。 またしばらくの間 握り締めて触って触って元のあの感触を 取り戻すまで落ち着かなかったのを覚えてる。
わたしが随分大きくなるまでこのハズカシイ秘密の入眠儀式は続いていて。 それがなくても大丈夫になったのはいつからだったろう。
それでも似たような柔らかい手触りのタオルケットとかを見つけると あの時の癖のままで無意識に触ってる自分がいたりして。 他人からもし見られたら さぞや不気味だろうなぁ タオルケットニギニギしながらウットリしてるオバサン。
ねんね毛布は安心の象徴。 ねんね毛布はもう無くなったけど それでも ずっと 変わっていない。 求め続けてるのは 安心感。
オトナになるってことは ある意味 とてもキビシイ ツライことだ。
その場所に残していかないといけないもの 自ら捨てていかないとならないもの いろんなものを 手から零(こぼ)して 気づかないまま 手から零れて。
それでもみんなそうしながらオトナになる。 オトナという名前の殻を纏(まと)うことからだけは 誰も逃げられない。 其処からだけは やっぱり 逃げちゃいけない気がする。
オトナは汚い オトナは卑怯だ オトナは醜い キレイゴトばかり何もわかってない。
そうかもしれないけど でも
オトナも傷を抱えて オトナも苦しんで オトナもそれと闘ってる 綺麗とはお世辞にも言えない生き様の中で。
わたしもそんなオトナの殻を被ったニンゲンのひとり。
告白。
実は未だに ねんね毛布 に似た感触のタオルケット見つけると 無意識に触る癖がある。 っていうか この間 子供のタオルケットがちょうどその状態に なってるの見つけて ついつい居ない間に触りまくった。 情けない秘密。絶対秘密。
わたしはツヨクなった。これを強さと呼ぶなら オトナになってとてもツヨクなった。 ツヨクならなくては守れなくて生きることができなかったから。
わたしはこれからもツヨイままだろう。 ずっと渇望してる安心感は望む形では手に入らない。 それでも生きることから逃げないことだけは誓おう。 えらく頼りない誓いだけど。 破りたくなるたびに 必死でしがみつこう。
ヒビワレタ脆いココロは扉をかけた奥の奥へ隠す。 時々そうっと取り出して見つめながらヒトリゴト言うのだけは 許してくれ。
また こっそり あの見つけた ねんね毛布 触ろう。
そして そ知らぬ顔して わかったようなオトナの殻ズレちゃったのを被りなおす。
笑うなよ!
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