++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年02月27日(水) わたしだけの傷

役所に行って申請に必要な証明書を貰ってこなきゃ。
クリニックへ行って残り少なくなった薬を貰ってこなきゃ。
糖尿内科の定期検査予約日も迫ってる。
定期検査の時に足先から甲にかけての痛みのこといわなきゃ。
歯医者にも行ったほうがいい。眼科も同様。

子供の学校の方も理解を得ているとはいえ
さすがに連絡・・・と気になってくる。



最近 真ん中がまた 不調気味。
頭痛や吐き気といった身体に出る。

どうもわたしがどうしても末っ子に比重をおいて関わることになるのが
寂しいんじゃないかと思う。

わたしはわたしなりに長男
(彼もまた相変わらずのハードスケジュールをこなしている)
次男にも 末っ子ほどにいかなくとも(悲しいかな我が身体は1つだ)
できうることはして考えているつもりなのだけれども。
側で弟がわたしを独占していて自分は弾かれているように思うのかな。
反抗期も重なってなかなか難しい。

ただ次男が今の末っ子のような状態であった時
むしろ 末っ子は淡々と自分の生活をこなしていた。
わたしも それに安心して
今の比でないほど真ん中につきっきり状態だった。

末っ子も本当は寂しかったはずなのに。
問題なくいってくれてたから それに甘えていた。
そしてそれが今の赤ちゃん返りに近いほどのわたしへの独占欲として
でている気がする。

真ん中は元々甘えん坊の寂しがりだ。
だから理屈ではわかっていても 
今 反対に末っ子がわたしの膝を独占して
わたしが末っ子を甘やかしている(と真ん中には見えるのだろう)ことに
イライラしてしまうんだと思う。
胃が痛くなるし、自分はあれだけやってて勝手なことをとも思うけど 
その気持ちを責める気にはならない。
こちらからは1対3 でも子供達からは1対1なんだもの。



週末 実家に行った時、訪ねていくことと、誕生日プレゼントに
子供達とわたしのお祝いの寄せ書きのことは母にだけ打ち明けたけど
父には内緒にしてもらっていた。
知らないで贈った方が喜んでもらえるんじゃないかなって考えて。

でも結局 正直いえば 空回りしてしまった感触。

喜び下手な父がそれでも精一杯喜んでくれたとは思う。
ただ・・なんていうか 
要するに父もそれほど疲れているんだっていうことだろう。

今回のことはあくまでわたしや子供達の独断だったから
初めから反応がそんなに無くても当たり前だなとは思っていたし
子供達にもそれは言い聞かせてた。

だからそれに関する失望的なものはなかった。

でも それとはまったく別に相変わらずの毒舌には
(それに悪意などないことを知っていても)
やっぱり傷ついた。

ああ・・だからこれは失望して無いとかいいながら、
わたしの心のどこかに
ここまで誠意を形にしてみせたのだから・・という
期待の気持ちがあったってことだ。

頭で考える通りに感情は働かないもんだね。



父はわたし達のことを気にかけてくれる。それは本当に有り難いこと。
親であればこそ。
だからこんなふうにいうのはバチあたりなことなのだろうけど


何かを相手に対してする時
わたしは 
相手が して欲しい時に 
して欲しいことの手を貸してあげられるのが
一番望ましいと思う。
それ以外で してあげたいと思うことは あくまで自分の自己満足。
それに対して見返りを求めたらそれは既に重荷とか押し付けになってしまう。
それだけはしたくないし、意味が無いと思うから
そこだけは わきまえておきたい と思ってる。

大事なひとに何かをして喜んで貰えたら それはとても嬉しい。
でも大切なのは自分の満足度よりも相手の気持ちに添ったものかどうか
ということじゃないだろうか。

亡きひとをここで引き合いに出すのはとても申し訳ないのだけど
彼が良く口にしていたのは

自分は 自分がしてやりたいことをするのだ

ということ。

誕生日には花束を贈ってくれた。
確かに花束は嬉しかったし、だから ありがとう って言った。
でも お金が無いのに友達にお金借りてまで
無理して花束にこだわることはないんじゃない?
って思ったのも事実。
その心の翳りがわかってしまったのか
あまり喜んでないように見えると 不機嫌になられてしまった。

だから 花束でなくてもその時のできる範囲で祝ってもらえれば
充分嬉しいよ ってやんわりと言ったのだけど

そこで返ってきたのが先ほどの言葉。


どちらがいいとか悪いとかでなくてまさに価値観の違いを
思い知った瞬間だった。



父も似ている。

自分のやり方でする。それで文句をいうなら手を引く。

そこは無理してしてくれなくてもいいから といっても
本人の気が済まないとその方法でやらずにはいられない。

反対にここは手を貸して貰えたらどんなにか助かるのに・・と
思うことでも「こんなにしてやってるんだからこれ以上は勘弁してくれ」
という言葉で切り捨てられる。


さっき 頭で考えるように感情は働いてくれない って書いた。

それって当たり前のことだと思う。
だから それだけで亡きひとや父の人格を否定とか
一方的に責めるとかそれは違うし、本意でないし 
この日記を読んでくださっている、たまたま目を留めて下った方にも
して欲しくは無い。それが言いたいんじゃない。
言葉足りずの拙文のせいで そう誤解されたならとても悲しい。




世界も人間も不完全で矛盾のカタマリで
価値観も一部は同じでも一部はズレていたり。

完全なる世界なんてのがあったらその方が怖い。
皆同じ方向を向き、同じ事を考えているなんて。


だから世界はこれでいいんだと思うけど
ただ 時々 大事な人との間で
その違う部分がどうしても自分の中の
譲れないものだったりすると
とても 哀しくなる って そういうこと。

違うものを違うものとして受け入れられたらいいけど
自分は受け入れても(あくまで自分なりにだけど)
相手からは完全否定だったりすると 特に。



今 わたしはこんがらがっている。

どうしたってしなきゃならないことは自分がしなきゃどうしようもない。

でも こうできることなら・・・ 
こんなふうに もしも手を貸してもらえるなら
と 現実的に最も もしできたら・・の可能性のある部分を思い、
やっぱり無理なこと だ
現実に打ちのめされた気持ちになったり。

そうして皮肉なことに
善意で投げ込まれる情報。
これもわたしを混乱させ落ち込ませる。


不登校について
精神疾患について
それに伴う薬について
身体の病気について

これらに親との関係を含めて
過去のトラウマが絡み付いていて
考えれば一人の人間の半生の全てを
自分以外の人に全てわかって貰おうなどと思う方が
不可能というもの。

別に自分だけが苦労してきたとか酷い目にあってきたとは思わない。
一つ一つの出来事はこの世界のどこかしらにいくらでも転がっているし
その中で人々は自分の海を泳いでいるのだから。
水面下が見えないだけで懸命に足掻きながら。

カタチは一つとして同じでない。
でも それぞれに抱える痛み。
人とは比べられない辛さ、苦しさ。
そして 確かに わたしも痛いの苦しいの。
自分だけとは思わないけど わたしはわたしでやっぱり辛いの。

わたしもわたしだけの傷を抱えている。


だから その目で見えていることだけを全てだと思わないで欲しい。

善意の人は投げ込むだけ投げ込んで 時には
キレイサッパリ忘れてしまったりするから。
そういう中途半端な情報は深く沈んでいく物思いの元にしかならない。
特に鬱症状があるものとしては。逆効果にすらなる。

話してあったはずのことがいとも簡単に忘れられていたり
それで どこかズレた視点から助言をされても
酷く身勝手な言い方になるが それなら そっとしてくれていた方がいい。

投げ込まれた情報は棘みたいに消えない。
それでなくとも 容量の少ない頭は処理どころか煙をあげて
フリーズを繰り返し いつ壊れるかしれたものではない。


思い遣りや心配からだと知っているからおもう。
その人の善意をしっているから尚更おもう。
どうかわたしにアナタへの拒否反応を起こさせないで。



あのね

ごめんね。

アナタはやっぱりシアワセな恵まれた人の方だとおもうよ。
アナタはきっとそれを否定するだろうけど

でもね

アナタはまだ自分が望みさえすれば道を選べるもの・・。


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                           ゆうなぎ
  


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