++いつか海へ還るまで++

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降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年07月16日(水) メッセージ ” 親の心 子の想い ”



* いつの日か この日記を読むかもしれない3人の息子達へ*

***


この日記を君たちが読むことがあるのかどうか 
わたしには わからない。

ただ もしも 読むことがあっても それがずっと先であることは
確かだと思う。それはわたしの生死に関わらず。

その頃の君たちは それぞれ どんな大人になっているんだろうと
わたしは考える。
その時をこの目で見届けたいと思ってはいるけれど
こればかりは 神のみぞ知る だものね。


この日記を読んでその時 君たちはどう思うんだろう。

かなりのヘタレっぷりだし、赤裸々な心情満載なので
呆れたり、ショックを受けたりすることもあるかもしれない。

でも それでもいいと思ってる。
その時の君たちが感じるままに受け取ってくれてかまわない。

ああ、お母さんもこんなにヘタレたり、泣き言書いたり
ダメダメだったんだなぁ と思ってくれれば
そう「親っていっても一人の人間であることに変わりはないんだな」
って感じてもらえたら きっと この日記もわたしも嬉しい。


少しだけ 親と子の話をしてもいいかな。

これは わたしと君たち兄弟 の 親子 と
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんとわたし の 親子
それぞれの話。

わたしはねぇ 一人娘だったので 
これでもかなり厳しく束縛されて育ったんだよ。
お祖父ちゃんは家庭、家族第一の人だけど
その思い入れが強い分 自分の”こうでないといけない”という
やり方でわたしを育てた。
転ばぬ先の杖だったし、常に管理されていた。
我が子に失敗という傷を負わせたく無かったんだろうね。

お祖母ちゃんはお祖父ちゃんよりも大らかではあったけど
それでも わたしは無邪気というよりも
変に大人びた子供だったと思う。

期待を裏切らないこと 大人の望むいい子であることが
常に頭にあった。子供同士の付き合いはそのくせ下手で
だって どう接したらいいのか わからなかったから。

一時はかなりの いじめられっこ だったよ。

教室で一人 ぽつんと孤立。
酷いあだ名つけられたり靴とかランドセル隠されたりとか
先生の対応なんかももっと大雑把だったから
今なら 大問題になるようなことも 当たり前のように
放置されてたりで。
 
でもそのおかげで 周囲の空気を読むことには自然と長けていった。
過敏なほどにね。

それと その頃から しぶとかった?のかな。
苛められる自分の中の要素を無くしてやろうって思ったの。

視力悪いと無意識にモノを見るときに目を細めるでしょ。
それが癖になっていて瞼の筋力が弱くなってたんじゃないかと思う。
他人から見たら 目つきが悪く睨んでるように見えたらしいのね。
だから 目を大きく開く練習を毎日鏡の前で した。
これは小学生の頃だけど鮮明に覚えてる。
我ながらその努力の甲斐あってか 瞼に筋力がついて
普通の状態でもしっかり目を見開いていられるようになった。

本格的に変わったのは中学校入学からかな。
新しい環境になったのは何より大きかったと思う。
目の癖も完全に治っていたし。

周りに溶け込む術。自分を守る垣根。
でも それと周囲には悟らせないように。

目立たなかったけど 普通に友達もできて
もう苛められることはなくなってた。

元々 そんなに人とつるんで何かをしなくても平気な方だったし。
考えたら う〜ん・・変に醒めたようなヒネた子だったなぁと
思うけど。

でも親とか先生って絶対なものだって刷り込みは強くあった。
言うこと聞いていれば間違いはないんだから って
これは親に散々言われてきたことでもある。

弊害は自分の行動に対して常にOKを出して
貰わないと安心できなくなってしまったこと。

これで後々大人になってから随分と苦労したよ。
失敗が怖くてその手前でリタイアしてしまう。
頑張りすぎて完璧にしようとして それができないと
もう自分はダメだと思って自滅する。
そして余計自分を信じられなくなる。

今ならわかるけど失敗はできるだけ沢山した方がいいんだ。
失敗して痛い目にあって そして それから 自力で立ち上がれた時に
それが自信になって 自分を支えてくれる。


君たちも お祖父ちゃんもお祖母ちゃんが
人一倍 愛情に溢れた人たちだというのは感じてくれてると思う。

でもこれも今だからわかるけど 
失敗やケガをさせないようにすること は
必ずしも子供にとってはいい事じゃない。

型に はめ込まれすぎてしまうと 子供の方はどんどん息苦しくなるし
子供自身の自分で生きていく為の力が育たない。

少なくとも わたしはそう実感してる。
未だにその呪縛に苦しめられてる部分があるから尚更。


だから君たちには とにかく
”〜でなければいけない” 的なプレッシャーはかけたくないと
思って接してきた。
これが完全な正解だとは思っていないけど 自分がそれで苦しかった分
親になった時に子供に対して 自由に羽ばたける心と生きていく為の
精神的な逞しさを持てるようになって欲しいと思った。

わたしのような 籠の鳥じゃなくてね。 



でも ここで矛盾かもしれないけど 親になってみてわかった親の気持ち
というのもある。

少なくとも母親は大なり小なり 
あの激痛(男性ならショック死するとさえいわれる)に耐えて
我が子をこの世に産み落としてるわけで。

そんな我が子が失敗したり痛い目にあうのをやっぱりできれば
見たくないと思うのもまた親の心。
束縛系の親って確かに方向は違ってしまってるかもしれないけど
それだけ 愛情が深いとも言えるんだよ。

子供って結構残酷で 感情コントロールできなかったりすると
死ね とか平気で口に出しちゃう。
ウザイ とか 産まれてこなきゃ良かったとか 
そりゃもう あの産みの苦しみ いっぺん味わってみるか?!
って言いたくなる より なんていうか もう 
がっくりと膝つきたくなるようなこというよね。


全部の親がそうとは言わない。
そんな全人類性善説自信もってぶち上げられるほど
わたしは世界を知らない。

だけど 少なくとも子供から死ねとか
一時の感情から出た言葉でも言われたらそりゃショックだよ。

親も人間だからね。

たとえば方法間違ってたとしても子供からしたら見当違いでも 
必死で子供の為なら死ねるとか思っちゃってたりするから。


わたしがお祖父ちゃん、お祖母ちゃんと対する時
いくら歳をとっても わたしは子供。
だからね 子供の気持ちも わかる。

もう中年って言われる歳なんだよ。
いい加減 呪縛解いてよ
〜でないと人間失格 みたいな言い方やめてよ とか
思うもんねぇ。
なんでかたくなにわかってくれないんだろう、今のわたしに
逆効果なことばかりしたり言ったりするんだろうとかもね。



でも 親として君たちに接する時に 
子供の想いを知りつつも 親の愚かかもしれないけどその心を
思い知るんだ。


子供に感情があるように

親にも感情がある。


親だって間違いもすれば迷いもする 生身の人間だってこと。

昔の?親っていうのはそんな自分の弱さみたいなものを
見せたくない美学みたいなのがある人が多いように思う。
だから余計に拗れたりしちゃうのかもしれないな。


お母さんね、今なら お祖父ちゃんは決してスーパーマンでも
間違いを全然しないわけでもないこと わかるよ。

それは反面 とても寂しいような心細いことなんだけどね。


むしろ 歳をとるごとに わたしは理想の娘像からどんどん
離れていってしまった。
誰よりも 幸せに と願ってくれた両親の夢を粉々にしてしまった。
だから 今も 微妙に関係は拗れてる。
この捻じれはもう戻らないのかなと思うと辛くもある。


でも わたしは わたしの両親を やっぱり 愛してる。

人生の苦さを
両親の育て方の、存在のせいするようなことだけは したくない。
これは わたしの問題だから。


理解のないコトバで深く傷つけられても
それに気づいてすら貰えなくても
ずっと最期まで 籠の鳥のままでも。



うまくいえないんだけどね。


わたしは親を振り切れなかったけど
それでも 後悔はしてない いや ちょっとはしてるか?(笑)


君たちは親(わたし)を振り切ってくれてかまわない。
いや 完全には ちょっとさすがに寂しいけどさ(笑)


自分の人生は自分のもんだ。自分が選べばいい。

親ってのはね 最後には振り切って踏み越えて往くべきものなんだと思う。
たとえ ぎゃーぎゃーわーわー喚いててもね。
踏み越えられて遥か後姿を見せる我が子に毒づきながらでも
エールを贈ってるんだよ。


何かあって 助けてと思う瞬間

無意識にひとが呼ぶのは 
おとうさん おかあさん だったりするんだって。



それだけで 充分なのかもしれないね。

親も

子も。


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                               ゆうなぎ


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