2005年03月10日(木) |
過ぎし日の春は満州の彼方に 紙谷 多津子 |
いつも行く近所の美容院で題名に引かれて読んだ本だ 私もお顔だけは知っているそれもご近所の人の叔母さんという方の自己出版本 ご主人が満州電業承徳支店・双頭山発電所でお仕事されていて、ロシアの参戦により満州から3人の子どもと引き上げてこられた記録だ ご主人は仕事の整理のために残らざるを得ず 女子供のみの引き上げになったようだ 私の母も二人の乳飲み子と引き上げてきている 母とほとんど同世代で母の引き上げの状況もこの方と同じような状況だったのだろうなぁ・・と思う ただ 私の母の場合 子どもを二人とも死なせている そのことは後後までも母の胸で深い傷になっている 実家のあった大和郡山へまるで乞食のように痩せて、ほほはこけてロシア兵にレイプされないために髪を刈り上げて目だけがギョロついていたようだ 姉だと名乗られなければ、誰だか分からなかったということも後から叔母に聞いた 持ち帰った小さな骨壷は汗じみが出来ていたと 母が亡くなってから叔母に聞いた 生前の母から 満州の話は何も聞いていないので この手の本を目にすると私は飛びつく 母の心をわかってあげられなかった・・ という自責の気持ちからだ
この方は本の最後を次の言葉で締めくくっておられる
死なんと思い 生きんと思い 三年を超えぬ
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