読書記録

2005年04月16日(土) 介護入門           モブ・ノリオ

 介護入門
《誠意ある介護の妨げとなる肉親には、如何なる厚意も期待するべからず。仮にそのような肉親が自ら名乗り出て介護に当たる場合は、赤の他人による杜撰さを想定し、予め警戒の目を光らせよ。続柄意識だけが義務感となって彼等を緩慢に動かすに過ぎない。被介護者とともに生き、ともに死ぬ覚悟なき義務感など、被介護者を必ずや不快にさせると思え。責任感は気高く、義務感は卑しい。彼等の汗を目にした時に限り、警戒を緩めるべし。

派遣介護士の質は、人間の質である。その質を見極め、我慢がならぬ時には、強く出てまともな人材を要求すべし。低劣な介護士は、介護の助けになるどころか、さらなる厄介の種で自宅介護者を苦しめる。・・・中略・・・介護士への妥協はつきものだが、飛び切り優秀な介護士も存在する・・・》



少々 キツイことを書くが、男の孫に下の世話をしてもらって「あ〜ぁ、仕方がない・・」とあきらめられるだろうか?
私ならノーだ!!
純粋に祖母への愛で自宅介護を選んだとしても、祖母の側から見ればそれが重荷に感じることもあるのでは・・と私は思う。
介護を受ける祖母にとっては実娘で筆者からみたら叔母である人が「人間もこないなったら終わりやなあ、私やったら死んだほうがましやわ」と言う。
言い方や態度にそれこそ筆者の言う人間の質が見え隠れすることは事実だ。一度も襁褓を変えたことがないと叔母を責めるけれど何とかにも三分の理がある、という言葉があるように私には叔母なりのてらいがあるのだろうと思う。でも20代の男の甥がオムツを変えていたら「おばちゃんがするわ」と言うのが当たり前の話ではあるけれども。
その叔母は祖母が情けないとさめざめ泣くのを、自分だけが被介護者のほんとうの悲しみを知ったように得意げに言うことにも筆者は怒る。

でも 近い将来、被介護者になる確率の高い私としてみれば、ぱっと散りたい。やはり「人間もこないなったらオシマイなのだ。」


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