読書記録

2005年11月11日(金) 在宅で死ぬということ     押川 真喜子

 人は必ず死ぬ

だが どのように何処で死ぬのか

訪問看護婦の著者が書くターミナルケアの現場

ただ 在宅療法には夫婦や家族の関係がむき出しになる
例えば 夫に死期が近いとして本人が在宅死を選びたいとしても、夫婦仲が悪くて妻が拒否するということもある
でも反対に 病院のほうが目が届くだろうし、まわりに迷惑をかけないからと入院を希望する患者も多い
一昔前なら 家で亡くなるのが当たり前だったのに、今では在宅死のほうが特別な現状だ
著者は仕事柄 死期が近づいて初めて患者となる人と接するわけで、元気なころはどんな人だったのだろうと思いを馳せる
最終章では著者の実父の看取りのときのことも書かれていた
在宅療養の現場がありのままに語られているが、安楽死や尊厳死といった重いテーマは語られていなかった
それにしても死ぬということは必ずしも本人だけの問題ではない、家族にとっても大切な人を失うという共通の問題だと改めて認識した
ただ感じたことは、必ず自分の番がくるわけだから何処でどのように死にたいのかを、じっくり考えておく必要があると思う
容易に答えのでないことではあるけれど・・


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