読書記録

2005年12月04日(日) 万葉の華    小説・坂上郎女     三枝 和子

 『万葉集』が大伴家持の編集によるものであるというのは通説である。ひょっとしたら『万葉集』の編集には、家持の叔母である坂上郎女が深く関わっているのではないかという仮説のもとに書き出されたのがこの本である。

家持は持節征東将軍として陸奥の軍に派遣されている最中、任地で病死した。が、その死の1ヶ月ほど後に起こった桓武天皇の寵臣藤原種継が暗殺された事件に関わったとして不明朗な取扱を受けた。種継を暗殺したという男が白状して、この事件は帝と種継による長岡遷都に反対する者が起した謀叛で、皇太子早良親王を擁立し朝廷を傾けようとするものであるという。家持は皇太子傳であったので、事件のときにはすでに死んでいたにもかかわらず官名を剥奪、荘園を含め一切の私財を没収、後嗣の永主は隠岐に流された。そして私財として没収されたもののなかにあった歌集が『万葉集』の原形であると言われている。

坂上郎女は14歳で穂積皇子の夫人になったが、一年半にも満たない短い結婚生活で皇子はお亡くなりになった。郎女はようやく16歳になったばかりだった。
その後、母の異母兄である宿奈麻呂と結婚して二人の女の子の母となり、上の娘が家持の夫人となった。

今、女帝問題が議論されているけれどこの時代の天皇とはいったい何だろうか。血で血を洗うようにして繋がれてきたと言ったら言い過ぎだろうか。豪族ではなかった藤原の権力への野望は凄まじく、娘を入内させて天皇との間に皇子を産ませようと必死になる。強力な後盾となるために。後宮はすっかり藤原氏のものとなり、家持の父である旅人は大伴の家の古来の地位を信じて天皇に奉仕するつもりでいるけれども、その天皇の内実はすっかり藤原と化しつつある。大伴は藤原氏に仕えているようなものなのだ。
それでも家持は歌によって救われ、叔母の坂上郎女とともに詩作に励む。


ぬばたまの 夜霧に立ちて おぼぼしく 
照れる月夜の 見れば悲しき
(夜霧が立ちこめて、そのためぼんやりとしか光らない月を見ていると、何だか悲しい。)

うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 
今は春べと 成にけるかも
(佐保川に沿ってさかのぼって行くと、川原の青柳が芽ぶいて、ぼうと青くかすみ、もう春になったんだなあと、しみじみそう思っています。)


それにしても この物語に限らず多くのいにしえの物語の舞台に住まいしていることを改めてしみじみしている。


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