2006年01月06日(金) |
天智天皇をめぐる七人 杉本 苑子 |
作者あとがきより 『天智天皇をめぐる七人』は、蘇我氏打倒のクーデターから壬申の乱前後までを描いていますが、当時を生きた人々の中から七人の男女をピックアップし、その、それぞれの運命を見ていくことで、彼らに関わった中大兄皇子━天智帝の実像を、焙り出そうとこころみたわけでした。 歴史上の人物に、感情的な色分けをするのはつつしむことですけれど、正直いって私は、天智帝という人があまり好きではありません。ただ『水鏡』に記されている白馬の話には、かねがね強く魅せられていました。天智帝の死をめぐって、なぜこんな謎めいた、美しくも奇怪な伝説が生まれたのか。この「なぜ?」に触発されて、私は彼を追いかける気になったといえます。
風鐸 ━ 軽皇子の立場から
琅玕 ━ 有間皇子の立場から
孔雀 ━ 額田女王の立場から
華鬘 ━ 常陸郎女の立場から
胡女 ━ 鏡女王の立場から
薬玉 ━ 中臣鎌足の立場から
白馬 ━ 鵜野皇女の立場から
作者に感化されたわけではないが私も中大兄皇子は好きではない 弟の大海人皇子も同じだ 作者の意向は大いにあるだろうけれど、権力というか帝位についた人たちより表舞台から消されていった人たちのことを強く思う とくに 風鐸と琅玕の章に登場した軽皇子とその妃である有間皇子の母、小足媛(おたらしひめ)に興味を覚えた 小足媛の手にもどされたのは、有間の袍の裾を切り取り、やや武骨ながら規格正しい楷書で、大海人皇子がしたためたあの、旅中の歌二首と、指にはめていた琅玕の指輪だけだった。 見おぼえのある息子の着衣の一部に、叮嚀に包まれてきたささやかな遺品・・・・・。小足媛はでも、指輪をつまみあげた刹那、反射的にそれを床に叩きつけていた。 磚を敷きつめた冷たい床にひざまずき、そっと指輪を拾いあげたのは、有間の詠歌に、涙が涸れ果てるほど泣き悶えたあとである。 (からかいであれ遊びであれ、一ッ時、愛息に虹色の夢を見させてくれた女) 真先くあらば、また還り見むとは、この母をか、額田女王をか? 問うすべは、もはや絶たれた。有間のそばへこちらから行くほか、再会の手立てはなくなってしまった。 ・・・・・屋敷から二丁ほど離れた用水池に、小足媛の溺死体が浮いたのは、その日の夕方である。懐中ふかく秘めて出たはずなのに、投身するさい底に沈んだか指輪はなく、髪に一筋、短い水藻が絡まっていたにすぎない。琅玕の青の深さとは較べようもなく淡い、濡れそぼった藻の色であった。
磐代の 浜松が枝を引き結び 真先くあらば また環り見む
この描写がとても きれいで心に染み入るように思った 後世を生きる我々が事実を知るすべはないけれど、作者のこの描写に万にひとつの違いもないように思う もう 私は母の立場でしか何事も感じないのだろうとも思う
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