2006年02月03日(金) |
天翔ける白日 小説 大津皇子 黒岩 重吾 |
大津皇子の母は天智天皇の娘大田皇女で、天武天皇の皇后である鵜野讃良(後の持統天皇)の姉にあたる。だが、大津と彼の姉の大迫皇女を残して早逝したために、皇太子には皇后の子で大津と同年の草壁皇子が選ばれる。病弱で凡庸な草壁に対して、大津は文武にすぐれた偉丈夫で、人間の器もはるかに大きく、宮廷内の人望を集めていた。そのために、皇后に草壁の敵とみなされ、憎まれることとなる。 草壁との対立は運命的なものがあり、大津は天武の長子でありながらも、その周囲には見えない網が張りめぐらされ、彼の生きる道は網を切って自分の存在を確立するか、網に巻かれて皇后に阿諛追従するかの二つしかない。 律令制の基礎ともなる姓制の改革(八色の姓)を断行した頃から、天武は病いに倒れ、皇后の権力が日増しに強くなって、大津を政治の中枢から疎外し、圧迫をかけ始めた。その頃、大津は美貌の女官大名児と恋に陥っていたが、食うか食われるかというところにまで追いつめられて、ついに彼を慕う御方皇子とともに、天武の死の直後に皇后と草壁を斬る計画を立てる。だが、二十五歳の大津より四十二歳の皇后のほうが一枚上で、計画はすぐに発覚。大津は捕えられ、謀反のかどで処刑される。妃の山辺皇女も大名児も大津のあとを追ったと伝えられている。
少し前に読んだ『女帝 氷高皇女』でも、『橘 三千代』でも 草壁皇子は政権に執着がなかったように書かれている。共に女性の作者だ。今回の作品では正反対の解釈をしている。男性の作品だとやはり権力への思い込みが表に出てきている。 歴史にもしも・・・は禁物だけれど、もし大田皇女が早逝していなければ大津は天皇になれたかもしれないのだ。 いつの世も母親というものは自分の子どもが一番可愛い。 鵜野讃良も例外ではないけれど、母の思いとはうらはらに草壁皇子は天皇にはなれなかった。草壁も早逝してしまった。 それにしても大津は哀れだ。これも運命とは思うけれどなまじ人望を集めたゆえに自滅していく。 やはり権力を手にしていく人物よりも、死というかたちで歴史の舞台から去っていく人物にとても魅力を感じる。
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