2006年03月15日(水) |
遍照の海 澤田 ふじ子 |
遍照 仏の光明がひろく世界を照らすこと
京都でも指折りの紙商、鎰屋の総領娘として何不自由なく育ち、慈悲深い娘となった以茶は、父・宗琳の店の経営のことを 最優先させた婿取りで、手代の栄次郎と結婚させられる。 結婚して一年半、栄次郎のいたわりのなさと物惜しみのひどさ、度量の狭さが、以茶の気持ちをすっかり冷えさせてしまっていた。 そんな折、鎰屋が持っている六軒長屋に浪人の大森佐内が病母と妹を抱えて移り住んでくる。貸家と長屋の差配は女主人の仕事、女事と決まっており、以茶が左内と会って貸すかどうかを決定したのだった。 佐内と面会した以茶は、精悍さの中におだやかな品位と滋味をたたえる佐内がつぶやいた言葉に心打たれる。それは「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」という弘法大師(空海)の言葉だった。その瞬間に以茶と佐内は見えない糸で結ばれ合ってしまったのだった。 以茶は桶屋の仁吉を通して、困窮している佐内に救いの手を差しのべる。それは慈悲というより、好きな男に尽くす行為に近いものであった。だが、このひそかな行為も、目明しの島蔵にかぎつけられ、栄次郎に告げられてしまう。栄次郎は、島蔵を使って妻の不義密通の証拠をつかみ、それを利用して鎰屋の実権を握ろうと企む。 危ういところで立ち止まっていた以茶と佐内だったが、栄次郎の性の暴力に耐えかねた以茶が店を飛び出したことで、運命が大きく変っていく。二人は老女のお民の息子の家に身を寄せる。これで二人の不義密通は、栄次郎の狙い通りに本物となってしまう。二人が身をひそめるところへ島蔵とともに乗り込んだ 栄次郎は、匕首で斬りかかるが、左内に腕をとられ、自分の胸にそれを突き立ててしまう。 不義密通の上に夫を殺害という状況証拠が二人に不利に響き、市中引廻しの上、磔、晒しの刑と決まる。だが上品蓮台寺・大寺院の栄寛が金襴の袈裟を投げかけたことで、以茶は助命となる。事件の翌年に牢内で女の子を出産した以茶が、半月後に終生遍路の重追放となって四国に遺棄されて果てしない遍路の果てに路傍で命を終える。 主人公の以茶は作者が創造した人物であり、作品の中に挿入された以茶の絶唱ともいえる『以茶自筆句帳』は作者の創作ということになる。時代の設定は1760年頃か。
かなりのめり込んで一気に読み上げてしまった。 それにしても栄次郎が死ぬという設定が私はうれしい。たとえ今生では添えぬ二人でも邪魔者はいなくなったのだから。 作者が朋芽というこの作品を書くきっかけとなったのは、江戸時代、司法処置で社会から遺棄され、一生、四国遍路につかされた人々がいたことを知ったからとある。 「この作品を書くに当り、わたしは暇をつくっては、何年にもわたり四国を訪れた。生涯、遍路行をつづけて死んでいった一人の女性俳人をデッサンするためであった。」 私もいつか遍路行を実現したいものだといつも心に置いている。 そしてこの作品を読んで私は会えない娘を思った。会えなくなって三年八ヶ月というふうに私は過ぎた歳月ばかりを数えているが、ふいにいつかきっと会えるであろう日に向かって生きているのだと思った。
ゆく秋や ほころびひどき頭陀袋
陽の暮れて すすきの山に 月一つ
これもよし まことの人と黄泉の旅
児の夢をみて 目覚めたる夜寒かな
木枯らしや わが身一つの棄てどころ
鎰屋 以茶(かぎや いさ)
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