読書記録

2006年04月04日(火) 陸奥甲冑記       澤田 ふじ子


 桓武王朝期、律令国家の統一を急ぐ朝廷側が日高見国と呼んでいた陸奥には小部族が住み、阿弖流為が部族連合国家の盟主としてそれぞれの族長を束ね、盤具公母礼(ばぐのきみもれ)が長老役として補佐していた。だがこうした「まつろわぬ民」を朝廷側は蝦夷と嘲り、加えて桓武天皇は大陸からの脅威に対応できる統一国家を急ぎ作るべく、蝦夷討伐に踏み切った。征東大使には最初天皇と血のつながりのある紀古佐美が任ぜられたが、そのふがいなさから幾度となく失態を繰り返し、やがて坂上田村麻呂が征夷大将軍となる。情に溢れ、人心の掌握に優れた坂上田村麻呂の手腕によって日高見国の実力者たちはひとり、またひとりと朝廷側へなびき、東北の民の団結はほころびてゆく。そして遂に、もはや戦いを続けても益なしと判断した阿弖流為は投降する。だが必死で阿弖流為や母礼を助けようとする田村麻呂の尽力も空しく、二人は処刑され、日高見国は律令国家に組み込まれることとなる。

正史というのは勝者の側から綴られることが多い。権力のトップに立った者は、事実を変え、自分たちの権力の維持に都合のいいように歴史を作り上げてしまう。とするならば、ひとつの正史の陰には、敗れ去った多くの民たちの歴史が葬り去られていることになる。征服された人々の歴史は抹消されたり、正史に書き留められなかったりするから、後世の者たちは、書き残された資料から注意深く真実を見つける作業をすると共に、書かれなかったことをも推察する洞察力をもたなければならない。
歴史の研究者であれば「書かれなかったこと」に拘るのは正当なやり方ではないだろうが、小説家にとっては空白の部分から「こうであったに違いない」と推察し、確信にまで深めてゆくのは自然なことだ。

こういう作者のおかげで私たちはそれこそのめり込むように歴史に魅せられていくのだ。
阿弖流為の碑が京都の清水寺にあると知った。
・・・・・行きたい・・・・・。


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