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| 2006年07月17日(月) | 道祖土家の猿嫁        坂東 眞砂子 |  
道祖土家(さいどけ)に嫁入りしてきた蕗は、顔が猿にそっくりだったため人から猿嫁と言われていた
 蕗の嫁入りの日から始まって、曾孫の十緒子が蕗の三十三回忌の法要に参加するまでの長い歳月が淡々と書かれている
 一人の女性が夫や子供のために、それはある意味その女性自身の思いのために必死で生きたであろう物語が好きだ
 感情移入してしまう私はその女性と物語の時代を共に生きた思いがする
 
 百姓の娘として育った蕗にとって、待つのは苦にならなかった。苗を植えて、稲が実る日を待ち、台風が来れば、過ぎるのを待ち、戦が起きれば、終わるのを待つ。そんなことは、生活の一部だ。だから蕗は目の前の問題もいつか時が解決してくれるものと、なんとなく信じていた。
 
 女ゆうもんは、自分をごまかすのがうまい。
 
 周囲が決めた男のところに嫁ぎ、舅姑に下女のように仕え、口では自由民権を唱え、人間、皆、平等と叫びながら妾と遊ぶ夫の世話をしてきた。
 
 日本が戦争に負けても、いつもと変わりない日が続いていた。明治から大正に変わった時も、大正から昭和に変わった時も、時代は変わると世の中は騒いだが、ただ流れる用に時は過ぎていっただけだった。きっと、今回も同じだ。世がひっくり返ると騒ぐのは、人がそう願っているからに過ぎない。だけど、世の中はやじろべえみたいなものだ。どんなに大きく揺れてもひっくり返ることはない。結局はどこか安定した位置に戻っていく。
 
 
 
 
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