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| 2006年08月07日(月) | 百枚の定家        梓澤 要 |  
百人一首を編纂した藤原定家がみずから一首ずつしたためた、小倉百人一首のオリジナル、それが『小倉色紙』です。かるたの原型ともされているそれを、藤原定家は七十四歳の老齢で書いたとされています。その頃の彼は中風と眼疾に悩まされていましたから、百枚もの色紙を書くのは苦行に近い状態だったでしょう。鼻先を紙にくっつくほど近づけ、慄える手で筆を押さえつけるようにして、ようやく書き上げたはずです。
 定家の死後、それは忘れられ、いつしか行方不明になりました。子孫である二条家・京極家・冷泉家の『歌の家』の宗家争いがあり、定家卿崇拝が過熱して、その偽書が争ってつくられました。歌道秘伝『古今伝授』が表なら、小倉色紙は裏━。ひそかに守り伝えられたのかもしれません。
 
 
 
 ふと思った。
 藤原定家もこうして夜更けに一人、筆を走らせる手を止めて野鳩の声に聞き入ったかもしれない。俗世を捨てた西行法師もまた、粗末な庵に座して山の濃い闇を透かし見てもの思いに耽ったであろう。来ぬ人を待ちわびつつ夜空を渡る月を観る女、桜吹雪に老いゆくわが身のはかなさを思う者、しめやかな雨の音に聞き入る人・・・。
 パソコン画面の白々とした光に照らされている現代の自分が、時空を超えて彼らと直接つながっている、そんな気がした。
 (そうか・・・)
 百首の歌には百人の人間がいる。あたりまえのそのことを、はじめて実感として感じた。
 
 
 
 
 かなり読み応えのある分厚い本で少々疲れた。
 そして情けないことにどこが歴史の事実で、どのへんが物語りなのか私の知識では区別できないことだ。
 別に区別する必要もないのだろうが・・・。
 
 
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