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| 2006年08月14日(月) | 秀吉と利休         野上 弥生子 |  
正直 私は秀吉も利休も好きではない
 テレビのドラマからの印象はどちらも権力者だと感じていたから
 それがこの物語を読もうと思ったのは先に読んだ『百枚の定家』で、お茶の世界に少々興味をもったからだ
 まず利休を知って、古田織部、小堀遠州もおいおいに読みたいと思う
 作者の視点が違うから茶事の床に飾られる小倉色紙のことは1ヶ所のみ
 利休の弟子で秀吉から所払いになっている山上宗二が、配流先の小田原で北条氏政の大伯父である北条幻庵の隠居家での茶事でのみ用いられていた
 その床での小倉色紙は誰の句だったのだろう・・
 
 利休が秀吉に切腹を言い渡された理由として、大徳寺の三門に建立した利休の木像のことは知っていたがこの物語では私の理解していた娘のお吟さまのことは書かれていない
 利休が秀吉の朝鮮出兵について「唐御陣は明智討ちのようにはまいらぬ」と言ったようにされている
 そしてこのことは解説では虚構とされている
 でもこの虚構は見事だと私は思う
 人は真に言われることには時として自分でも理解できないくらいの反発を感じるものだ
 だが 利休を死なせたことで秀吉は利休の存在からなおいっそう離れられなくなっていくのだ
 石田三成はここでも悪者だ
 
 
 生まれたからには、死ぬほかはない。このわかりきった道理の中で人間が誰もあえて死のうとしないのは、きまっているのは死だけで、行き方にはきまりがなく、千差万別、どう生きようと勝手であるところに、生きる悦びも、値打ちもあるはずだ。彼はこんなことまで思いながら、果してどんな生活を自分自らは求めているかは、わからなかった。
 
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