| 2006年08月23日(水) |
新とはずがたり 杉本 苑子 |
後深草院二条の回想録『とはずがたり』を題材にして、原文にない部分を取り入れて新しい作品を生みだしたいという作者の意欲から書かれた作品だ 実在した関東申次役という西園寺実兼の目を通して、作者の思う二条が創りだされた 野の花に似て儚げな美少女は父親のような後深草院の寵姫となりながらも、弟宮の亀山院や性助法親王ら実兼の思われ人にもなってしまう そんな二条が一心不乱にわが生きざまを見つめ続けてついには髪を剃ろし出家してしまう 私が面白いというか巧いなぁと思ったのは、当時踊り念仏の集団をひきいて精力的に全国を布教して廻っていた一遍上人の存在と、二条の精神を重ね合わせたことだろうか 元寇という歴史の事実や鎌倉幕府の現状も取り入れられていて、私がもひとつ理解できないでいた両統迭立のこともふれられていた ラストで実兼が二条のことを思う場面では「捨てて、捨てて、捨てようと願う気持までを捨てて、二十年間、行としての漂泊をつづけながらも、ただ一つ最後まで捨て切れなかったもの・・・。それが後深草院の存在だったのではあるまいか」と憶測している それは『捨て聖』に徹した一遍の存在とも重なり合うのだろう
おのづから相逢ふときも別れても 一人はいつも一人なりけり
一遍
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