| 2006年09月23日(土) | 
竹ノ御所鞠子          杉本 苑子 | 
  
 鞠子は、源頼朝の子で第二代将軍であった源頼家の遺児である そして鞠子の母の刈藻は頼家の側室で、木曽義仲の娘である
   三代将軍実朝が亡くなって、次期将軍の選定が焦眉の急となり、鎌倉幕府は、九条左大臣道家の子三寅に白羽の矢を立てた 源氏の血統を根絶やしにしてきた尼御台と北条義時は、唯一残っていた‘頼朝の血’の伝え手としての鞠子に注目し、まだ五歳の三寅と二十一歳の鞠子を婚約させる やがて義時が亡くなり、政子もこの世を去り、新執権の座に義時の嫡男泰時がつき、三寅は八歳で元服して頼経と名を改め、征夷大将軍となる その拝賀の祝いの席で、二十五歳の鞠子と九歳の頼経将軍の婚約が正式に発表された そして婚約の夜から数えて二年後、鞠子は死胎児を生み、出血にまみれて死んでしまう 三十一歳であった鞠子の死で、源頼朝の正嫡、つまり源家の血はすべて絶え果てたことになる 女ゆえに、謀叛人に担がれる危険がなく、また女ゆえに、子を産む道具として残された鞠子だが、頼朝の血筋で最後まで生き残った人ではあるけれど男たちの権力の犠牲になったことになる
  鞠子が頼経と結婚させられる前に、木曽義仲の股肱の臣下の末裔である近習の諏訪六郎雅兼とひっそりと祝言をあげ万亀という娘をもうけていたが、この事実が義時に知れ六郎と万亀は殺されてしまう 鞠子が夫を持ち、子を生み育てていた事実は闇に葬り去られてしまった これは事実だろうか、作者の創作だろうか・・・ 作者の鞠子という女性への関心が素晴らしい作品となったわけで、それを読むことのできる幸せを思う 表舞台にはでることのない女性たちの歴史の一コマが面白いのだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
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