| 2007年04月01日(日) |
弥勒の月 あさのあつこ |
満月の夜の翌朝、小間物問屋「遠野屋」の若おかみおりんが溺死体で見つかった。 若き同心(今で言う刑事)小暮信次郎は、妻の亡骸を前にした遠野屋主人・清之介の立ち振る舞いに違和感を覚えるが,岡っ引きの伊佐治から見たら信次郎もまた心の闇を抱えているように見えるのだった。…??
これは間違いなく推理小説だ。 遠野屋も信次郎もともに闇をかかえて周りにいる人間に哀しみを見せる。 闇を生きる2人の男の駆け引きを、父親のような伊佐治の存在が引き立てて、最後には思いもしなかった結末が待っていた。
それにしても弥勒とは・・。 よく耳にする弥勒菩薩とはこの世にくだって衆生を救うという。 清弥と名乗った闇の世界から抜け出して、遠野屋清之介は本来の影をもつ人間となるべくおりんに救いを求め、そのおりんを弥勒と見る。 やはり人は誰かに支えられ護られて生きていくのだろう。
歳を取るということが、諦めるということと重なり合っているのだ。 なにも望まず、望めず、日々を生き、どん詰まりに無為の死がある。
生きてこの世にあるということは、奇異なものなのだ。人の一生を人は決して見通せない。定まったものなどなに一つないのだ。生きていれば、その中途で弥勒に出会うことも、妖魔に憑かれることもある。 遠野屋は、すでに知っている。そして、目前のこの若い男は、風に季節の香を嗅ぐように、今、ふっとそのことに気が付こうとしているのだろうか。
|