━さすらいの歌人━
西行がどれほどの歌を作っているか、これまた実際の数を正確に決めることはできないようであるが、これはともかくとして、そのうち何歳の時の歌であるかということが判っているものは、その十分の一ぐらいのものであるらしい。 西行ほど実生活を隠している文学者は珍しい。ただ優れた歌だけを遺しているのである。もちろん西行が意識してそのようにしたわけではない。源平争覇をまん中に置いた乱世というものの為せる業であるが、文学者はかくあるべきだという懐いを持つ。作品だけを遺せばいいのである。
はかなくぞ明日の命をたのみける 昨日をすぎし心ならひに (いつも明日の命をたのんでは一日一日を過ごして来た。まるで惰性でここまで生きて来たようなもので、思えばはかないことである)
笠はありそのみはいかになりぬらむ あはれなりける人の行く末 (笠はあるが、蓑笠着けていた人はどうなってしまったのであろうか。人の行末というものは哀れなものである)
いずれも老いの心を素直に詠んでいて、構えているところなどいささかもない。西行の行き着いたところは、このようなところであったかと、多少期待はずれな思いさえ持ちたくなる。大歌人として悟ったところなどみじんもないし、ただ素直に人の世も、人の生涯もあわれで、淋しい、淋しいと言っているかのようである。が、こうしたところこそ、西行の人間として大きいところであり、歌人として純粋なところであるに違いないのである。 乱世に生まれ、乱世を生き、なんとたくさんの末法的現象を心に、眼に収めたことであろう。 西行は己が生の終りに、このように詠わずにはいられなかったのである。
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