| 2007年06月03日(日) |
更級日記 杉本 苑子 |
更級日記の作者は菅原考標女(すがわらのたかすえのむすめ)と言われているが、実名も女房名も分らない。蜻蛉日記の作者が右大将道綱の母(藤原倫寧女)と呼ばれるように、二人とも里人(宮仕えしない家の女性)であったためである。考標女には姉がいて、もし姉も名を残すことがあったとしたならば、更級日記の作者は考標二女と呼ばれたかもしれない。 あとがきより
今でいう文学少女だった考標女は父の任地である東国で育ったが、父の任期が終り京へ上り、ようやく手に入れた憧れの物語を読みふけった。 若くして亡くなった姉の子を育てていたが、縁あって女房として宮家へ出仕するものの、すぐに引退し結婚。夫は包容力も財力もある人だったが、20年に満たない結婚生活ののち、死別。 夫婦仲はとくべつ良かったわけではないようだけれど、夫の存命中は子はもとより甥や姪までが賑やかに、一つ屋根の下でくらしていた大家族だったけれど、つぎつぎに独り立ちして若い彼らが去って行き、老いと孤寥を噛み締める毎日にたまらなくなっていた 何やら現代にも通じる、やがて私の行く道という想いがする・・
この更級日記は菅原考標女が、五十代の晩年にはいってから、あれこれ来し方を思い出して書きつづった回想録なのだ 十三歳の秋ごろに筆を起こし、夫に先立たれて二年後の五十三歳までを書いている 更級日記というタイトルは、亡夫の最後の任官地が信濃守であったということで、夫を偲ぶ思いがこめられているのだろう そして私が今回読んだ更級日記は、考標女の足跡をたどった更級紀行だった
我が心なぐさめかねつ更級や 姨捨山に照る月を見て
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