読書記録

2007年08月19日(日) 青に候             志水 辰夫


 読みはじめてしばらくは主人公の神山佐平が何を求めているのか分らなかった
でもそのうち きっと主人公は青二才なんだろうと思いはじめた
理想を追うというのでも白黒つけたいというのでもないだろうけれど、自分が納得いかないことはイヤなんだろうと思う
物語の最後ではやはり、目付である六郎太に青二才をなじられるのだ

世のなかのことも、これからのことも、何も考えないで、のほほんと生きてきたことはたしかだ。
おれには大義名分なんか、これっぽっちもない。身の回りのことで精一杯。
今日、明日をどう生きるか、今夜のめしをどうするか、目先のことにあくせくしながら生きてきた。
だがおれは,そんなちっともおれを恥じてないんだ。おぬしの家中の、何も知らない下僕や端女と同じように、だれのおかげで自分の暮らしが成り立っているか、知りせず、知ろうともせず、目先のことに一喜一憂しながら
生きている。これからもそうだ。おぬしたちとは住む世界がちがう。はっきりそれがわかったから、今日限り、侍暮らしはやめるよ。短い侍生活だったが、悪くはなかった。こういう考えに行きつかせてくれただけでも、感謝しなければならんだろう。

侍をやめるのは佐平の勝手だけれど、多少は心得のある絵を描くことで生活を立てていかれるのか、余計なことだけれどおばちゃんは心配したげるわ

世のなかにはさまざまな人間がいて、さまざまな考えがあるということすら、最近は信じられなくなるかけている。そういうことが、だんだん許されない世のなかになりつつあるような気がするのだ。右か左か、上か下か、ふたつにひとつしか選べなくなっている。こんな世のなかが、果たしてむかしよりよくなっていると言えるだろうか。
一方で肝心のことは何も論議されていない。ある日突然江戸湾へ異国船が入って来て、はじめて上を下への大騒ぎになるんだ。そういうことがわかっていながら、いまのわれわれにできることは何もない。そのときどきの、降りかかってくる火の粉を払いながら、右か左かを選んで行くだけなのだ。

こういう時代物を読んでいつも思うのは、現代人が書いているのだから当たり前のことだけど昔も今も所詮、人の思いというか感じることは案外同じなのかなぁ・・と・・



















 < 過去  INDEX  未来 >


fuu [MAIL]