短編なんだけど どれも作者のたどってきた現実であり作者の思いなんだろう それにしても 物書きになりたいというか、例えばミステリー小説を書いてベストセラー作家に名前を連ねたいと熱望している本好きは多いと思う 主な仕事があっても歴史好きがこうじてよくぞ・・と思うような作品を書く人も多いし、人生の熟年と言われる年齢にさしかかって長年あたためていた構想を作品にされるかたも多い でも それは願望である、夢である、とても己の力量がない現実に 「所詮 私は読み手でいいや」と諦める・・?・・人間が大方だろう そういう現実をみつめたとき この作者は経営人としても、物書きとしても成功されているようで私などはうらやましいというような柔な感想ではなく、賞賛そのものである
落葉 学生運動の頃の同士で何かと世話になっていた弁護士の友人が亡くなった 追悼文集を共同作成している友人にあうため、松本の民族博物館館長になっている友人を訪ねた 安曇野では落葉がはじまっていた
書庫の母 母が亡くなって二十年、母屋を売って今住んでいる自分の家を建て替える資金と、余ったものは自分の老後にあてようと収納されている蔵書を整理することにした 歌人だった母の遺したものは終生勉強を続けた母の姿を現していた
いもうと探し パリへ会議のために行くことになったが5日ほど空白の日があったので 7年前にパリで亡くなった妹の墓を日本に移したいという甥の以来で パリにいる妹の関係者と話をつけるという用もあった 兄妹だから相手のことがよく分かっているとは限らない 決断を下せないのは妹のことがよく分かっていないから この問題からは身を引くべきだとおもった
遅い詫び状 若い頃に父に絶縁状を書いて家を出た。 人に『御大』と呼ばれるような偉大な父だっただけに、やはり作者からみれば若いときの自分の態度や、死後40年もたってから自分とその偉大な父を思い起こす時やはり胸の痛むこともあるのだ
死刑囚と母 母の蔵書のなかに三人の死刑囚の歌集があった。 若いころの苦い経験から母に冷淡であった作者が母の死後に蔵書の整理をすることで、自分の知らなかった母を知る だから死刑囚という立場の歌人との交流を死後二十年もたってから知るということが、なおいっそう母の孤独を思うのだ 『その日待ちつつ』 という歌集のなかにあった一首に目が留まった 尋ねゆく父母のなきわがいのち その日の後はどこへ行くらん
余生 浦戸玄流の華道家元の娘だった美生は70代になった今、 週に三回は大通りからはいった岐れ道のところにある蕎麦屋兼小料理屋で晩の食事をすませている 親が亡くなったあと、兄たちが家元やら学校の理事長を継ぎ美生は広告塔のような存在になり『百花辞典』という花とマナーのことをかいた本も出版し、結婚もした その後 信頼していた事務員に裏切られ脱税を告発され離婚もした そんな人生の果てのマンションでの一人暮らしの中で来し方を思っているのだ
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