読書記録

2008年11月11日(火) 枝豆そら豆           梓澤 要

上下2部作で上巻は
あだ名は空豆と枝豆という大店の紙屋の一人娘と小間使の娘の人間の運命のおかしみと、二人が同じ人を好きになってしまった恋物語。
そして 下巻は秋津藩の若殿の危機、お家の危急を救うべく、「おなつおその東海道旅日記」とでも名づけたいような痛快な物語になっていた。

この物語の作者は私の好きな作家のひとりであるけれど、時代物でもこんなテレビドラマのような物語を書いていたことには少々驚いた。
おそのとおなつを通して作者の人間観のようなものを感じるので、心に残った文を書き記しておこう。


他人の好意や善意を素直に受け入れられるのは、その人間もまた善意の持ち主であるからだと気づかされた。

上りより下りのほうが、はるかにきつい。おまけに上り下りの連続が腰と膝にこたえる。
まるで人の一生みたいだと、おそのは思った。上りはつらい。だけども楽に思える下りのほうが、実はずっと厳しい。大事なものを見失い、心を置き忘れる。上り下りを何度もくり返し、人間はやっとそれを知る。それを知るために生きるのかもしれない。

自分の心の底を省みることなど、日常生活の中ではほとんどない。毎日時間に追われ、生活に追われて、のんびり考えている暇なんかありゃしないのである。
無心に歩いていると、それができる。これまでの自分自身のこしかた、これからのこと、子どもたちの将来、考えたいことは山ほどある。
















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