○喜娘 第十次遣唐大使として唐に渡ったもののついに日本には帰れなかった藤原清河。(藤原北家房前の子で光明皇后の甥) その清河が唐の女性と結ばれてできた子どもが喜娘。 その喜娘を第十四次遣唐使として派遣された大伴継人が日本に連れて帰った。
○惜花夜宴(はなおしむひとよのうたげ) あの長屋王事件の前夜、長屋王の作宝楼の梅園で華やかな夜宴が催された。 長屋王家の資人であった沼辺はその夜宴の翌日、梅園の後片付けをしていて一本の白梅を盗んだ。
○夏の果て 皇后宮職写経所の写経生呉原生人は,ある時写経生に休みが欲しいと抗弁していて良弁と会った。 聖武天皇彷徨の最中も地味な写経の日々だったけれど、 良弁から天皇が平城京にまもなく廬写那仏を造られると聞かされたのだ。
○すたれ皇子 石川朝臣広成、広世兄弟の母である石川刀根娘は文武天皇のきさきだった。 広成と同い年の聖武天皇も同じ臣下の生まれだったが、母が藤原不比等の娘だったので皇位についた。 広成はすたれ皇子としての生涯だけれど、 皇位についた聖武もまた重すぎる帝位を背負わされ逃れられない重荷に打ちひしがれ押し潰されそうになっていたのだ。
○嘉兵衛のいたずら
歴史雑誌の編集部員である笹島怜子は「刻まれた歴史━古碑文のふるさとを訪ねて」の取材のため、奈良県五條市を訪ねた。
そして『吉備真備公母夫人楊貴氏墓誌』 その墓誌には模作と思われる数葉の拓本が存在していた。
私はやはりこの作者が大好きだ。 どれもこれもほんとうに面白く読んだ。 そして どの物語もきっとそうなんだ・・と私は思っている。
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