| 2010年01月10日(日) |
葛野盛衰記 森谷 明子 |
あの平忠盛・清盛は桓武天皇を祖としていた。 物語は盛衰記の名の通り、起こりである桓武天皇の時代から滅亡の時代までを、主流からちょっと離れた5つの視点から語られていた。 長岡京が築かれる里に暮らす多治比の一族の娘・伽耶。 薬子の変の藤原薬子の元夫・藤原縄主。 嵯峨天皇の皇女で初代賀茂斎院となった有智子。 平忠盛の妻、平清盛の継母・宗子。 清盛の異母弟・平頼盛。 それは多治比、平氏という一族の盛衰だった。
読んでいる途中で ちょっと気になるので調べてみたら作者はミステリーを得意としていた。 なるほど・・と物語の筋がつかめた気がした。 長岡京遷都に苦労した桓武天皇お気に入りの藤原種継の暗殺犯を、多治比一族の耀(あかる)という設定にした。 何と・・という思い・・。 あらためて作者の思いに眼からうろこの感じ・・。
人は人を呼び、やがてその土地には地霊が力を張ってゆく。ますます人を呼び寄せる。それが都です。われらは、それを夢見て、木をはぐくむように長い年月をかけて、葛野(かどの)の地に都を根付かせてきました。それまでの都のように、上に立つ者が争いあって地の力を削いだりしないように、誰もが怨霊を恐れるようにしむけ、戦乱のない都を作り上げました。その我らの息の長いやり方を、平氏の方々はわずか数十年で根こそぎ変えてしまわれた。だから、都はほころび始めたのです。
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