私の胸中にはいくつかの川が流れている。 幼き日に見た真間川、蕪村の愛した淀川、そして母の実家の前を流れる鏡川だ――。 昔々しきりに思ふ慈母の恩 慈母の懐袍別に春あり と、この文を執筆している頃に住んでいた多摩川べりの堤を散歩しながら蕪村の句を引用する。
誰にでも心の原風景というものがあるのだろうが、作者の場合は生れ故郷の高知を流れている鏡川ということか。 そして母方の祖である入交千別と、郷里の丸岡莞爾 そして西山麓のことは特に思い入れ深く書かれていた。
作者である安岡章太郎には多くの書き物があるが、常にこの西山麓の存在が胸にあったろうと容易に推察される。
以下、私の覚書 安岡章太郎の母方の祖父・入交千別(いりまじり・ちわき)は久万郷士出身で、義弟片岡直温(昭和恐慌時の大蔵大臣)を頼って日本生命に入り、後47歳から鏡川畔で30年余りの余生を暮らす。 三女桓が山北郷士出身の安岡章と結婚してもうけたのが安岡章太郎である。 ...
丸岡莞爾 (まるおか・かんじ) 1836〜1898(天保7〜明治31.3.5) 第7代沖縄県知事。土佐藩生まれ。 4カ年の県知事在任中に、沖縄県酒類出港税則実施、甘蔗作付制限及び禁止令の廃止など旧慣の改廃を断行。 波上宮をもって皇民化普及の材とした。
西山麓 丸岡莞爾 の甥で卓抜した漢詩人にして希代の樹懶(なまけもの)、晩年は葬式の旗持ちをした.
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