| 2010年07月03日(土) |
山梔(くちなし) 野溝 七生子 |
聡明な主人公が知的優越ゆえに、無理解な周囲の人たちとくり返し衝突を重ね、ぼろぼろに傷ついてついには家を出ることになる。 主人公(阿字子)の設定には作者自身の体験がかなり織り込まれているようだ。 軍職にある父は継母に冷たく育てられたかからなのか子供には、特に主人公の阿字子には折檻することでしか親の存在を示せなかったようだ。 やさしいけれどそんな父には従うしかなかった母と姉、妹そして同じく軍職についた兄がいた。 その兄が結婚して嫂となる人の登場によって阿字子は家族の中でも孤立感を深めていく。
私にも多少は覚えがあるのだけれど、いわゆる少女時代の身体も気持も揺れ動く頃の自分でもどうしようもない感情の激しさに自分自身の存在すらを呪ってしまう・・・ そんな作者の気持そのままの文章というか物語だったように感じる。 それにしても、何と硬い文章だったことか。
・・・そして 作者がタイトルに山梔(くちなし) とした理由と、阿字子という少し変わった名前を主人公につけた訳を知りたいと思うのだ。。。
私は、もう駄目だ。汚れてしまっている。人間は、どうして生れたままの魂を持ち続けてゆくことが出来ないのか。 もし、悪いことを知っても、知ったということに止めておけば好いのではないか。知ったということが、行ったということになるほど、人間は、悪い事を行おうとしている。こうして、悪い意志ばかりが、どんどん、殖え充ちて行くのだ。
人の世に、復活ということが許されて居なかったものとすれば、それは、どんなに、寂しく悲しく、物狂わしいものであったろう。 もう一度無垢の眸を上げて、物を見直して行きたい。もう一度、初めから人生を、播き直して見たい。
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