| 2010年10月23日(土) |
見残しの塔 久木 綾子 |
周防国五重塔縁起
人は流転し、消え失せ、跡に塔が残った。 塔の名を瑠璃光寺五重塔という。室町中期、寺は香積寺と号した。守護大名大内氏一族興亡の歴史を秘めた国宝の寺である。歳月が塔の朱を洗い流し、素木に還し、古色を加えたが、美形は変わらない。
大内氏心願の五重塔を山口に建立すべく参集した周防番匠がいた。 九州脊梁山系の稜線が南北に走るところに椎葉村があった。 そこの神主の子として産まれた左右近(そうちか)は、外腹だったこともあって豊後竹田に大工の修行に出た。 神社仏閣は人出がたくさん要る。 形の残る仕事は羨ましい。
五重塔は、その姿を見た人間には「見残し」だが、巡り合えなかった者には、この世に思いを残す 「見残し」の塔だと考えた。
何よりすごいのは作者が70歳を過ぎてからの作品で、構想14年、執筆4年ということである。 いくら若い頃に文芸活動をしていたと言っても賞賛意外の何物でもない。 そして何より 平成二年初夏、山口で仰いだ瑠璃光寺の五重塔は、私には、この世とあの世の境に立つ、結界に見えました、で 始まる詳しいあとがきがいい。 何度の何度も現地に足を運びさまざまなその道の達人たちから教えを請い質問し、勉強されたあかしの物語を読める幸せ。 やっぱり本っていいなぁ、と改めて至福のひとときを味わったことだ。
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