| 2010年12月12日(日) |
白き瓶 小説 長塚 節 藤沢周平 |
文庫の裏表紙の解説には 三十七年の短い生涯を旅と作歌に捧げ、妻子をもつことなく逝った長塚節。 清潔な風貌とこわれやすい身体をもつ彼は、みずから好んでうたった白埴の瓶に似ていたかもしれない。 とある。
私は長塚節 の『土』 も歌も読んだことはないが、藤沢周平の作品ということで興味をもった。 やはり節の生家である茨城県結城(ゆうき)郡国生(こっしょう)村の情景や、節の人となりの描写が素晴らしいものだった。 そして伊藤左千夫と、「アララギ」の若い歌人たちが、歌をめぐる論争から きわめて人間くさいどろどろした言葉の投げ合いにまで踏み込んでいた。
普通のひととは逆に、家は節にとって絶え間ない緊張を強いられる場所だった。農事の管理、借財のやりくり、親戚づき合い、そして病身の父母、病身の自分、どの1カ所がバランスを失ってもがらがらと崩壊してしまいそうな長塚という家を支えるために、節の気持はいつも張りつめて身構えていなければならないのである。長い間節はそうして来たのだ。
そして 節が咽頭性結核と診断を下されて命の終焉を告げられたときの描写が、比べるべきもないけれど・・・私が電車に飛び込みたいと思ったときの心の有り様そのままだったことを思い出した。
━みんな、こともなく生きている。 と思った。病気などということは知らぬげに、屈託なさそうに、いきいきと歩き回っている人びとがうらやましかった。節は自分を、冬の枯木のように感じ、すでに眼の前の日常の光景と、住む世界をへだてられてしまったような心細さを感じていた。掌にあたる日もつめたかった。
街は、たったいま寿命はせいぜい一年ほどと宣告されて来た節には無関心に、雑踏し、いきいきと動いていた。
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