私は兼家・道兼親子に無理やり皇位から引き摺り下ろされた花山天皇が, 世の無常を感じ西国三十三カ所巡礼めぐりの札所を決めたのだと思っていた。 二十年以上も前に子どもたちを連れて三十三カ所の札所めぐりをしていたときに主人と 「今でもこんなにしんどい場所があるのに、あの車もない時代にようもこうしてお寺参りをして何と信心深い天皇さんやったんやろう」と 話した覚えがある。
今回この本を読んで、物狂い女狂いといわれた法皇がそれでも浄土を信じて観音霊場めぐりをしたことは事実なのだからそれでいいのでは思うのだ。 まぁ この物語ではそういう部分はキレイに書いてあるんだけど。
それにしても花山院の厳しい修行ぶりには驚かされる。 そして、花山院に仏心を吹き込んだものとして、厳久という僧が登場することなど何とうまいんだろうと思ってしまった。 生まれながらに天皇になる花山院と、食うていくがために僧になった厳久とは正反対のようで似ている、対になるものなのだろう。
やっぱり歴史というものは 一方的に片側からだけ見てはいけないというか、私たちの知らない本当の歴史が埋もれているということだろう。
よろず代も いかでかはてのなかるべき 仏に君は はやくなるらむ (終わりのない人生はない。あなたもいずれ仏になる。だから少しでも早く荒ぶる情欲をお鎮めください)
煩悩即菩薩 菩薩即煩悩
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