| 2012年04月19日(木) |
獅子は死せず 中路 啓太 |
「毛利勝永」(もうり・かつなが 1577 〜 1615)とは、忠義と武勇に優れた豊臣秀頼配下の大坂方武将内での大名首朱功記録保持者であり、真田幸村と共に徳川家康を後一歩まで追い込み、豊臣秀頼最期の時まで付き従いながらも、後世の評価を全て真田幸村に持っていかれた為に
「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」
とまで評された戦国無双の武士。
一説には秀頼の介錯をしたのは勝永だとの説もあるらしい。 そして この物語では勝永の最期は書かれていない。 どうかして生き延びた・・・というような希望的憶測で終えているのだ。
勝永と妻のようとの夫婦愛、そして臣下の杉助左衛門と商家の娘ねいとの関係が戦場に咲いた花のようで心慰められたことだ。
それにしてもこの物語の主人公である勝永も そして幸村も哀れなことだ。
豊臣家の首脳部はいつまでたっても信繁(この物語では幸村のことを終始信繁としている)らをただの牢人上がりと見なして重用せず、それでいて、秀頼自身も、主立った直臣たちも、強い指導力を発揮できなかった。そのために見方の企てはことごとく失敗し、この城の南面における、おそらく最期の戦いにいたっても、秀頼の出馬もなく、諸将がばらばらに動く結果となってしまった。
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