読書記録

2012年05月11日(金) 海も暮れきる            吉村 昭





放浪の俳人 尾崎放哉が死を迎えるまでを過した、小豆島の8ヶ月が綴られている。

いよいよ身を置く場所が無くなって、師の荻原井泉水に終の棲みかを捜してもらい、島の素封家で師の俳句の弟子でもある井上一二のもとに行く。
一二の返事も聞かぬうちから小豆島へ旅立つ、そんな場面からこの物語は始まっていた。

運よく『南郷庵』に落ち着くことができたものの、それは死に場所が見つかっただけのことだった。
最高学府を出て一流会社の要職にもついていたのに、酒に飲まれて職を追われ妻にも去られて落魄の身となって流れていったひとりの男の行き着いたところだったのだ。

『南郷庵』のある西光寺の住職や、庵の側で住まいする石屋や、そして何の見返りも求めずに最期まで放哉の身の回りの世話をしてくれた漁師の老妻シゲの存在。

作者自身が若い頃に放哉と同じ病気で寝たきり生活を経験しているから、病気の描写や死を意識していく心情など、読んでいるものにも胸迫るものがあった。

島に来た頃、放哉は病状が最悪の状態になった折には酒を思う存分飲んだ上で海に身を投じ自ら命を絶てばよい、などと考えていたが、それが甘い考えだったことを知った。
咽喉も消化器も酒を受け入れることはなくなっていたし、むろん海際まで行く体力もない。死は、想像していたよりもはるかに執拗で、肉体を苛めつくした上で訪れてくるものらしい。


そしてこの本のタイトルは ”障子あけて置く海も暮れ来る”  という
放哉の句よりとったものだそうだ。












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