なか杉こうの日記
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おとといの新聞に俵万智さんがエッセイを書いていた。彼女は片付けが苦手だそうで、むかし恋愛中だった頃、部屋に来た恋人が万智ちゃんの机のあたりを見て、「これじゃ百年の恋も醒めるね」といったそうである。
わたしはこれを聞いてどれほど安堵したかわからない。万智ちゃんもそうか!いや、あたしもそうなのだ。狭い部屋にモノが積み重なっていて歩くスペースもないこともあるのである。しかしそれはいかにも女の部屋らしくたとえば下着やら化粧品やらバッグやらが散らかっているのなら、なんとなく女性風で小説や演劇にも出てきそうなシーンであるが、わたしの場合、ものを入れたダンボール箱や電子辞書や買ったまま読んでない本や古いラジカセなどがあちこちに雑然とある。
万智ちゃんは、短歌の選者もしているが、入選に選んだ歌の葉書をたばねてゴム輪でとめておいたのが、見つからなくなった。中にはこれを選んだらとてもうれしがるであろう高齢の女性の歌も混じっている。真っ青になってあちこち探したが見つからない。しばしして、机と壁のあいだ(だと思った)の隅から見つかったそうである。
万智ちゃん、しっかりしてよ!あなた短歌の選者なんだから、和室に古風な文箱でも置いてカタリ、と音をたてて選に入った葉書を納める・・・っていうふうにしなきゃあ、だめよ!といいたくなったが、とても言える筋合いではない。
俵万智さんは、短歌で賞を取り有名になる少し前「ラ・メール」という女性の詩の本にいくつか歌が載っていたのを覚えている。他の人の歌に混じって、それは全く違う、なんというのか「青春の心」にずん、と来る歌だった。
たとえばたしか「サラダ記念日」に収められていたと思ったが、夜遅く帰ってきてハイネックのセーターをぬぐ娘のすがたを母親がじいっと見ている・・・といった歌。
それにしても万智ちゃんも年をとったねえ、と写真を見ながら思った。きっと大学時代、佐々木先生のところに「歌を見てください」と言いに行ったころは、ういういしかったのだろうね。ヘアスタイルが同じだから年取ったなあ、とよけい思うのかもしれない。人のことは言えませんが。
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