なか杉こうの日記
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2005年11月16日(水) 皇室のかたがたについての一見解

つくづく皇室のメンバーの方々は「仕事」をされているのだなと改めて思った。
美智子妃にある記者が、清子さまを育てるときに将来民間に出ても困らないように育てられたのですかと聞いたら、いいえ、そんなことは全然ありません、むしろずうっとこののままいてくれても、これまでも多くの公務をこなしてくれましたから、ずうっといてくれてもいいのです、と答えたと言う。

もちろんこの言葉の中には母親としていつまても娘にいてほしいという思いもあったろうが、この言葉から改めて、今の皇室の方々は「仕事」を懸命にされているのだな、という感を新たにした。

生涯の仕事である。それはかなりの重責である。たとえば、
1.マスコミほか国民のすべてに言動、姿、行動が知られること。
2.千年以上もの歴史、格式を背負っていること。
3.常にうつくしい、清らかで穏やかなイメージを与えていること。
4.日本を代表して堂々とまたエレガントに他国の代表者と話すこと。
これを皇居の中にいて見えない部分があるにせよ、「お仕事」をしているときは、常にこのような態度でいなくてはならない。

今日テレビ番組の中で、皇居の新年のお祝いの会に招かれたと言う記者が「意外と質素なものなんですよ」と言ったら、周りの人が「えー、そうなんですか、もっとゴージャスだと思っていた」と述べていたが、そんなこと思う人は今あまり無いのではないかと思う。

上記の1-4に加えて、今皇室は国民から常に「ぜいたくをしていないか、税金を使いすぎていないか」という目で見られる。昔は皇室は上の上、神のような存在であったから、違って当然だったけど、今は「いったいあの人たちはどのように暮らしているのか」という、興味しんしんの目で見られる。

美智子妃が皇后になられてから、皇室はずうっと身近になった。人間的で、苦しんだり、悲しんだりがわりとよくわかる。そして、人々と同じ立場に立とうとしているのがよく、わかる。声を大にして「わたしたちはあなたたちと同じです」とでも言おうとしているようにも感じられる。

同じではあるけれども、そこは皇室、千年以上の歴史を背負っている。そして上記の仕事を持つ。非常に大変である。国民の目にさらされながら、「懸命に」支えあっているご家族の姿がよく感じられるような気がする。

わたしはたまたま偶然であるが仕事で紀子さまとお話したことがある。といっても皇室に嫁がれる前のことである。一緒に食事をした。そのあと、その食事の場所となった某会館のあちこちを「散策」して回った・・・。やはりその頃から「世界が別」な雰囲気を感じさせる、しかし、ちっともかけ離れた感じではなく、わたしのような人見知りでも、「ねえ、どうですか」なんてちょっと冗談でもいいたくなるようないい方であった。ちなみにわたしが「有名人」と会って話したことがあるのは後にも先にもこれ一回きりである。

わたしは仕事上、外務省とか都庁とかの人と話したり行ったりすることがよくある。そんな上のレベルの人ではないが。皇室のおふたりの伴侶がこの省庁の出身であることから、なんとなく皇室も公務員に似た「お仕事」である、という感がとても強い。え?ひょっとして公務員かな、ほんとに。

しかし、その反面、皇室をとりまく人々の中には未だに「血筋」やら家柄やらを重んじる人々がいることも確かである。この類の方にも仕事上、出会ったことがある。正直「おったまげた」・・・。皇族または旧華族というのかしら、それらの方々は一般庶民とは別なのである、それなりの格式をもって失礼の無いように・・・というのはわかるが、その感覚はとても時代錯誤的なものであると感じた。そんな人々が皇族、外国高官、財界のトップなどなどのあいだに「なごやかな」サークルをつくっている。

それはいっけん、なごやかなフレンドリーなものに見えるが、排他的で、明らかに自分達は特権クラスである、と生まれながらに思っている・・・という人も存在することをじかに見て、知った。

さきほど述べた紀子さまは、そんな感じはまったくない、きわめて上品ながら気さくな方であった。だからわたしは皇室の方々はよい方なのではないかと、思う。ただ、その周辺の親戚やら、その取りまきやらがどうしようもないold-fashionedな感覚を未だに持ち合わせていらっしゃるのではないか、それに皇室の方は苦しめられているのではないか、と思う。


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