なか杉こうの日記
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2006年10月09日(月) 「大和路・信濃路」

今日は用事に行くのに最初行くつもりでなく急に決めたものだから、そのあたりにある本を軽いのと思い、むかあしの堀辰雄「大和路・信濃路」という薄い岩波文庫をかばんに入れた。

これはたぶんわたしのきょうだいが高校の頃に買ったのを、本棚の隅の隅に、押入れにしまうことなく、処分することなくいれておいたものである。

今も、堀辰雄氏が大和路を歩んだ時と同じ十月。今日も空は高く晴れている。自分が二十年前にひとり奈良を歩いたときのことと重ね合わせる。

なぜこの人はこころにすうっと入ってくるような言葉遣い、イメージづくりができるのだろう。もちろん、こんなこと、自分が高校のとき教科書で「辛夷の花」を読んだときなど味わえるはずもなかった。

高校生にこのような作品を読ませて本当に理解できるのだろうか・・・。もちろんうわべは、大和路の穏やかさとか、ロマンとかわかるだろうが、それを感じる人間が、病で常にもしかして死を意識していたこととか、小説を書くための旅であることとか、人生をある程度経ないとわからないことも多いのではないかな。


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