今日は、のんびり手芸などして過ごしましたが、なんだかそれでは物足りなくて、 近くのお寺まで子供とのんびり歩きました。 こんなに寒い時期に、だいぶ木々はつぼみをふくらませかけていて、 ちゃくちゃくと来る春に備えているのを毎年見るたび、うれしくなります。
で、鳥がいた。 この子が臆病者で、ちょっとでもこちらが動くと飛び立ってしまう。 なんとか一枚小さくですが、撮らせていただきました。 尾っぽが、可愛いね。
かなり肌寒かったのですが、子供とお散歩するのは楽しい。 車で移動すると見逃してしまうものを、いろいろ見つけるのはよいですね。 もっと元気があれば、動物園とか行きたかったけどなぁ。 最近、遊びの遠出がないので、ちょっと寂しい。
スピッツの歌の歌詞を解釈する方とかいるんですけど、 私はわりとそれ、苦手です。 だって、一度確定すると、二度と戻れない柔軟性のない性格ですから。
本もそうだけれど、行間ってものがあって。 その時々で、変わるんですよねぇ。受け取り方も、印象も。 こちらが力が欲しいときに聞くと、そういう方向で感じられたり。 さびしいときはさびしく、楽しいときはたのしく、 成長してはじめて「あ、これは、こんなことでは?!」とか気づいてみたり。 気づいてみたのが、結局間違いであることもおおいにありえても、 それが、自分の答えなら、それが一番よいんだよなぁと思ってますし。
スピッツの歌詞は難解で、確実に読み解くのは難しいようです。 歌詞を書かれたマサムネさんも、歌詞についてどうこうと解説はせず、 聴く人にまかせますと、おっしゃっているようです。
私は、申し訳ない、「ハチミツ」の頃の歌とかは、辞典みたいに読んでます。 言葉の響き、可愛い言葉、かなしい言葉、こんな言葉をこんな風に使うんだ、とか、国語辞典をパラパラめくるように、聴いてます。 詩集を読んでいる感じ(って、私は詩集は割りとふんわり読んでしまうので) 懐かしいアルバムを紐解いているような気持ちにさえなれます。
あいまいにしておけばしておくほど、そのものの世界が広がったりすると、 私は思うのです。
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