慈雨の日記

2008年01月20日(日) お散歩。




今日は、のんびり手芸などして過ごしましたが、なんだかそれでは物足りなくて、
近くのお寺まで子供とのんびり歩きました。
こんなに寒い時期に、だいぶ木々はつぼみをふくらませかけていて、
ちゃくちゃくと来る春に備えているのを毎年見るたび、うれしくなります。

で、鳥がいた。
この子が臆病者で、ちょっとでもこちらが動くと飛び立ってしまう。
なんとか一枚小さくですが、撮らせていただきました。
尾っぽが、可愛いね。

かなり肌寒かったのですが、子供とお散歩するのは楽しい。
車で移動すると見逃してしまうものを、いろいろ見つけるのはよいですね。
もっと元気があれば、動物園とか行きたかったけどなぁ。
最近、遊びの遠出がないので、ちょっと寂しい。

スピッツの歌の歌詞を解釈する方とかいるんですけど、
私はわりとそれ、苦手です。
だって、一度確定すると、二度と戻れない柔軟性のない性格ですから。

本もそうだけれど、行間ってものがあって。
その時々で、変わるんですよねぇ。受け取り方も、印象も。
こちらが力が欲しいときに聞くと、そういう方向で感じられたり。
さびしいときはさびしく、楽しいときはたのしく、
成長してはじめて「あ、これは、こんなことでは?!」とか気づいてみたり。
気づいてみたのが、結局間違いであることもおおいにありえても、
それが、自分の答えなら、それが一番よいんだよなぁと思ってますし。

スピッツの歌詞は難解で、確実に読み解くのは難しいようです。
歌詞を書かれたマサムネさんも、歌詞についてどうこうと解説はせず、
聴く人にまかせますと、おっしゃっているようです。

私は、申し訳ない、「ハチミツ」の頃の歌とかは、辞典みたいに読んでます。
言葉の響き、可愛い言葉、かなしい言葉、こんな言葉をこんな風に使うんだ、とか、国語辞典をパラパラめくるように、聴いてます。
詩集を読んでいる感じ(って、私は詩集は割りとふんわり読んでしまうので)
懐かしいアルバムを紐解いているような気持ちにさえなれます。

あいまいにしておけばしておくほど、そのものの世界が広がったりすると、
私は思うのです。


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慈雨

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