たかちゃんとの離婚までに時間はかからなかった
結婚前に聞いていた借金の金額と離婚を決めるまでの数年で たかちゃんの借金の金額は、ほぼ倍の金額に脹れていた
高利な利息と、それを返すための更なる借金で 一般サラリーマンが一生かけても返せない金額になっていた
別居だけでは、すぐに妻の居場所をみつけて取りたてる もちろん不毛な取りたてだけれど、拒むことも法律上許される けれど毎日の鳴りやまない電話は、強い心を持っても、強迫観念に囚われる
私とたかちゃんは話し合って、完全に離婚することに決まった
多感期を迎える娘の将来を思い、二人は離婚を決めた
もしかしたら、私と娘を肩に背負って歩くことに 彼はもう逃げたかったのかもしれないと、今はそう思う時もある
破産宣告はしないと云う 「借りたものは最後まで返したい」 たかちゃんは、男気をみせているつもりでも 妻子はどうなるのか? そう問い詰めたかもしれない・・・
今となっては、二人の会話もよく思い出せない
離婚後の私は、腑抜けになった 思考能力も止まり、食べることも飲むことも忘れ 仕事さえ行けない日々が3ヶ月続いた
娘をただ抱きしめて、哀しい顔で抱きしめて 娘が眠った頃、私は声を殺して泣いていた日々だった
こんなに苦しくて、寂しくて、胸が痛いなら いっそ「死んでしまいたい」「消えてなくなりたい」 そう思い繰り返す毎日だった
とうとう生活費が底をつき、大家さんが家賃を取りに来た 1ヶ月3万5千円の家賃が払えず、このままではダメだと思った
私一人消えてなくなるならいい・・・ けれど私には娘がいた 娘には、幸せになってもらいたい未来がある この子を初めて抱いた時、この子は愛情いっぱい育てようと思ったものだ
苦しみのハードルをひとつ越えることができた また仕事へ復帰することになって、それからはがむしゃらに働いた
もう二度と人なんか愛さない もう誰も愛さない 恋なんて絶対しない
≪幸せの先は いつも 不幸≫
そんなことしか考えられなかった5年間だった・・・
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