2012年12月27日(木) |
■本からの話…世界の偉人たちから届いた10の言葉 すばらしい日本、トルコ |
《お知らせ》
『そうだったのか!この違いがわかれば、 きっと許せる「男女の違い105」』第13号」 をアップいたしました。↓ ★http://www.kotobasagashi.net/danjyomerumaga.php
今回のテーマは、 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、 一部ではありますが、見てみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>
昨日の続きになります。 この本からの紹介です。 とても感動する話ばかりなので、 ぜひ、読んでみてくださいね。
日本が、日本人が誇りに思えてきます。 そして、その心、姿勢をなくなさないように しないとな、と思えてきます。 おすすめの一冊です。
とても読みやすいので、 本を読み慣れていない方にも おすすめですよ〜
「世界の偉人たちから届いた10の言葉 日本への「ありがとう」」 波田野 毅著
「エルトゥールル号事件」より (P103〜107から引用)
エルトゥールル号海難事故
1890年9月16日夜。 紀伊半島の南端、大島沖で 大海難事故がありました。 トルコの軍艦エルトゥールル号が 台風に遭遇し、座礁、沈没したのです。
荒れ狂う暴風雨の中、 大島の村民は一体となって 救援を開始します。
大島村は半農半漁の貧しい集落でした。 しかし70人近い遭遇者に対し、 村人は貴重な米を炊き出します。 さらに非常食のサツマイモや、 飼っている大切なニワトリまで 食べさせました。
衣類がない人のために、 ありったけの着物も集められました。 荒れ狂う海の恐ろしさと、 遭難した人間の気持ちを 誰よりも大島の村人は 知っていたのです。
また後日、 トルコは治療にあたった医師らに対し、 治療費の請求を求めましたが、 「ひたすら術を施しただけで、 そのようなものをあてに するものではない。 お金なら遭難にあったトルコ人に あげていただきたい」と言って 受け取りませんでした。
日本では、 この海難事故に同情する声が高く、 多くの義援金が集まりました。 個人で義援金を集める 山田寅次郎という若者は、 全国を歩き回り寄付を集め、 トルコに渡ります。
トルコ側はとても感激し、 皇帝自ら寅次郎に会いました。 トルコからの要請により、 寅次郎はトルコにとどまり、 日本語教師となります。
この教え子のなかには、 将来、建国の父と呼ばれる、 初代トルコ大統領 ケマル・アタチェルクもいました。
これがエルトゥールル号事件です。 そしてこれは、 トルコの教科書にも載っているほど、 重要な出来事だったのです。
だからトルコ人は、ずっと日本人に 恩を感じていました。
そのため危ない思いをしてまでも、 飛行機を出し窮地を救ったてくれのです。
飛行機救出劇の10年後に、 トルコ大使だった ネジャッティ・ウトカン氏が 述べたもの、それが第10の言葉です。
「エルトゥールル号遭難は トルコの教科書にも掲載され、 私も幼いころに学校で学んだ。
子どもでさえ 知らない者はいないほど 歴史上重要な出来事だ」
この事故は、生存者69名、 死亡者540名という 大惨事になりました。 亡くなった人を丁重に葬り、 生存者は日本の軍艦二隻で トルコに送りました。
日本人の心からの献身的な行動を トルコ国民は忘れませんでした。
さらに続きがあります。 1999年にトルコで大地震が発生しました。 被害はとても甚大です。
それを聞き、トルコ航空機で救出された 日本の商社マンや銀行マンが、 あの時の恩を忘れてはいけないと、 義援金を集めトルコに駆けつけました。
日本政府も、外務大臣や レスキューチームが 翌日にはトルコ入りします。 救援隊や医療チームも次々と現地入りし、
「どの国よりも真っ先に 手を差し伸べてくれた」 と、トルコの人々を 大変感激させました。
戦争を仕掛ければ、 相手からも弾丸が飛んできて、 報復合戦になります。 逆に エルトゥールル号事件からの 一連のことは、善い行いには、 善いことが返ってくる、 と教えられます。 これは「善の連鎖」と いえるものです。
和歌山県串本町では 亡くなった人をいたみ、 今でも5年ごとに慰霊祭が行われています。 慰霊塔や墓地の清掃も、地元の小学校で 現在まで、変わりなく続けられてきました。
エルトゥールル号事件 120年の節目となる、 2010年は 「トルコにおける日本年」 とされています。
(ここまで引用)
「善の連鎖」いいですね… なんだか、この話を読み、 胸がじーんと熱くなりました。
今まで、それほど興味がなかった トルコという国でしたが、 この話と「善の連鎖」を知り、 興味を持ち、身近に感じ、 いつか行ってみたいと、 強く思うようになりました。 いつか、行きます。
この「善の連鎖」は、もちろん、 東日本大震災でも続きました。
◎トルコ支援救援隊33名をいち早く送り込み、 そして、もっとも長く日本に残って支援活動 してくれました。
◎トルコ政府は飲料水約18.5トンを宮城県に、 豆およびツナの缶詰約68800個を福島県に、 毛布約5000枚を世田谷区他の 被災者受入れ3区に支援物資として提供
◎トルコの災害救助グループ「GEA」が来日し トルコの子供たちが製作した21500枚のカードと、 2300点の絵画、2500個の玩具、 日本の子供たちのため作った「友情の架け橋」 というタイトルのビデオクリップが届けられた
◎トルコ各団体が義援金3万ドルを 在ニューヨーク日本国総領事館に送った
このような国と国のつながり、 人々のつながり、想いや行動を、 大切にしていかねばと思いました。 そして、トルコに何かあったら、 私なりにできることをしようと思いました。
《補足》
●なぜ、日本で、 イラン救出ができなかったか
自衛隊の海外派遣不可というルール 日本航空も安全上臨時便は出せない と言う状況だったからだそうです。 そんな窮地の中、 トルコが救援飛行機を飛ばして くれたのです。 本当に、本当に、 ありがたいことでしたね。
●山田寅次郎について
12年間、トルコに滞在し、 日本とトルコの貿易の民間交流の礎となり、 関係を発展させ、日本に戻ってからは、 実業家として成功したようです。 トルコを第2のふるさととして、 慰霊碑の建立にも奔走したそうです。 (詳細は→「トルコ大使館」)
●日本の教科書に載っているか?
エルトゥールル号事件のことは載って いないそうです。残念…
この話のもっと具体的な話は、 こちらのページで読んでみてくださいね。
★「トルコ大使館」 ★「海にまつわるちょっと良い話」
今日は、こちらの本からの話を 紹介しました。 おすすめの本ですよ〜
「世界の偉人たちから届いた10の言葉 日本への「ありがとう」」 波田野 毅著
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