ずいずいずっころばし
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育った家に帰らなくなって久しい。
待つ人のいない家ほどさみしいものはない。
心から出迎えてくれる笑顔ほど嬉しく心に染みるものはない。
見慣れた日常のこまごま。
幼い日のスカートがいつのまにか座布団カバーに変身していたりする。
母のリフォーム作品には思い出とぬくもりで溢れている。
それはリビングにもキッチンにもどこにもかしこにも満ちていて温かい。
出来合いの新品のものにはない母の丹精がこめられている。
枕まで手製。
それぞれの好みと健康状態に合わせて高さや柔らかさを調節。そばがらを天日に干して詰める。
父の座布団はキングサイズ。ふかふかの王様気分になるような特別仕立て。
私はそれを「王様の座布団」と呼んだ。
不在がちな父だったけれど、その「王様の座布団」が茶の間にデンとあるだけで家族皆の心が落ち着いて、そこには居ないのに父はいつも「存在」するのだった。
母を喜ばせたくっていつも駄じゃれを飛ばせて母を笑わせた。つまらない本当に子供が考えそうな「冗談話」だったのに、母はのけぞって屈託なく「あははは」と笑ってくれた。
母の笑顔を見ると「ぽっ」と心が温かくなって私も笑う。すると母もまた笑ってそのうち二人共、何で笑っているのか分からなくなる。
「幸せ」というものがあるとしたら、それはきっとそんな笑い声の中から生まれてくるに違いない。
企業戦士だった父親はどこかの「おじさん」のようでなじめない。
そんな父親だけれど鉛筆を削ってくれる。
学校へ行って筆箱をあけると削りたての鉛筆の芯先が鋭角でない。
帰宅して文句を言うと「百合ちゃんの目に間違って刺さるといけないから先を落としておくんだよ」と言う。
「もう削ってくれなくていいわ!」とつっけんどんに答える私。
父親の精一杯の愛情も私には通じなかった。
そんなこんなの思い出の詰まった我が家には、もう待つ人もなく、庭池の水も澱んでしまった。
過ぎし日は帰らじ。
小学生の私が着ていたスカート。くるくるまわって母を笑わせたそのスカートは私の台所の「オーヴン・ミトン」(鍋つかみ)となった。
追憶のひとひらに舞う私のスカート。
母のリフォームの「オーヴン・ミトン」は台所の壁に掛かって今日も私を見ている。
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