ずいずいずっころばし
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2004年05月11日(火) |
「メソポタミアの姫君」 |
画廊にふらりと入ることが好き。
そんな私は数年前にふらりと入った画廊で今まで見たこともない品に眼と心がくぎづけになった。
それは光りを受けて虹色に輝いていた。
虹色と呼ぶ他に持ち合せる語彙がないのが悔しいくらいの色。
言葉で例えようのない神秘な色。
虹に金と銀のベールをかぶせたような色。
そのものの正体は「涙壷」
「ローマングラス」と呼ばれるものだった。
ローマン・グラス(RomanGlass)とは、
はるか遠く□一マ帝国時代に作られたガラスの総称。
古代メソポタミアではB.C.18世紀にはガラスの製作がおこなわれていた。
今日、我々が手にするローマン・グラスは、二干年の眠りから覚め、稀には芙しい虹色を帯びている。この虹色は銀化(iridescence)と呼ばれ、ローマン・グラスの魅力の一つとなっている。
この美しいローマングラスを何と売るという。
私は「涙壷」が欲しくなった。
色も形もそしてその名前「涙壷」に惹かれた。
その昔、戦場に出かけた夫を待つ妻が涙を貯めたという涙壷。
どんな歴史を秘めているのか涙壷!
値段を見て仰天!
私のお小遣いでは買えない!
それこそ私の悔し涙をこの壷に入れたいくらいだ!
泣く泣く断念。
その代わりその隣に展示してあったローマングラスの「かけら」を買う事にした。
そのうち、折りをみて、これをブローチに加工して胸に「古代ローマ」、はたまた「メソポタミア文明」を身にまとってみようという考え。
なんだか果てしもない時空をまとうようでメソポタミアの姫君になった気分になれそうだ。
土の中で長い時代という時を過ごしたローマングラスはいつのまにか土の成分と同化作用を起し、湿度気温などの影響を受けて、紫、緑,赤黄、金色、ピンクなどさまざまな色をまといその上に金と銀のベールをかけて姿をあらわした。
私の古代の宝物。
二干年の眠りから覚めた古代ローマの「かけら」。
私は買ったその破片に名前をつけた。
「メソポタミアの姫君」と。
さて、現実に戻るとして、
この混迷の地にいまだに深くねむっているであろうローマングラスもこのアメリカの爆撃で粉々に散ってしまったかもしれない。
その昔、戦場に出かけた夫を待つ妻が涙を貯めたという涙壷も。
今イラクの女達がかつての妻達のようにこの「涙壷」に涙を貯めたなら、幾つあってもたりない涙壷の山となることであろう。
そしてアメリカにいる妻達もしかり。
ふと思うに、
この小さな「涙壷」の存在は本当に涙を入れるものを意味しているのだろうか?
例え涙を入れたとしてもわずかな雫は渇いてしまって貯めることなどできえない。
これは女達の声なき声の象徴だったのではなかろうか?
即ちあの与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」、やシェイクスピアの「コリオレイラス」の妻ヴァージリアにみられる女達の声の象徴なのだろうと私は思うのだ。
つまり「死なずに帰ってきてね」と大きな声でいえない妻の心の吐露の現れであろう。
この後、何千年の時を経て、地球の土を掘ったなら、何がでてくるだろうか?
何も出てこないだろう。
愚かな人間達が繰り返し起こしてきた殺戮で粉々になった虚しいあの「沈黙の春」がそこにはあるだけだろう。
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