ずいずいずっころばし
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暑くなった季節は茶席も炉から風炉に変わる。
なるべく暑い炭の熱気をさけて炉を閉じて風炉釜を据えて火をみえないようにする心遣い。
そんな暑い季節の花は昨日の「回り花」のかわりになるような「花寄せ」というものがあってとても楽しい。
これは葦(よし)の屏風などに掛け花入れをたくさん架け、客が思い思いに花をいける楽しいもの・
用意された花台から好きな花を選んで好きな懸け花いれにいけるもの。
侘びた茶席が花だらけになってこのときは茶席が華やかで楽しい雰囲気になる。
こんなこともお茶にはある。
しかつめらしくお茶を点てるだけがお茶ではない。
季節を楽しむこうしたお茶席の楽しみを味わうのもなかなか良い。
ここでちょっとひとくさり:
無学和尚は般若心経の名句「色即是空 空則是色」を引いて、「色則是空擬思量即背」(しきそくぜくうしりょうをこらせばすなわちそむく)とといている。
美しい花の色、形をとらえて、これを空といい、それでは空とは何であろうかと反問。それはこの美しい色、形そのものであると端的に答えている。
花をいけるには、そのすがすがしさを心にうつして、自分と花と一体になっていけるものであるとは不白と言う人が言っている。
上記の「思量を凝らせば即ち背く」とは、あれこれ思案してつくろったのでは、この真のすがすがしさを失ってしまうということをいましめたものなのだろう。
「回り花」でも「花寄せ」でもまた普段の茶席の花でも、このいましめにのっとって、いけるときは一手ですっきりいける。
あれこれ思いわずらって上手く活けようなどと考えずに、一気にしかも花台の上で大方まとめたらそれを一束にして一気に花入れに活けてしまうのだ。
なかなか哲学的であり、面白い発想だと私は思うのだが、実際やってみると邪気もなく活けた花は実にすがすがしい。
「思量を凝らせば即ち背く」
あれこれ思案してつくろったのでは、真のすがすがしさを失ってしまう。
人の心もそうかもしれない。
心に曇りがあって、あれこれとりつくろうと失うものが多いというものだ。
たかだか古くさい茶の湯、などと言うなかれ。
四季を通じて学ぶことはとても多いのである。
しかも楽しい。
ここが肝心。
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