ずいずいずっころばし
DiaryINDEX|past|will
父と私はほとんどまともに一対一の会話をかわしたことがない。 それは、父が海外赴任で不在期間が長かったり、企業戦士としていつも疲れていたからだった。 だから、よその家の子のように父親にまとわりついて甘えたこともない。
幼稚園の時から絵画教室に通っていた。男の先生だった。まあるい黒い瞳が澄んで、ひとなっつっこい目が笑っていた。一目で先生が好きになった。先生が絵を直してくださっている間に背中におぶさったり、首にかじりついてもにこにこして叱ることがなかった。
私は男の人の大きな背中の温かさをはじめて知った。それから8年間、絵画教室にはほとんど休まず通った。相も変わらず先生が絵を直してくださっている間中、首にかじりついたり、おぶさったまま先生の注意を聞いていたのだった。
ある日先生は「ゆりちゃん、自分だけの色をみつけなさい」と言った。
「誰にもマネできない自分だけの色を見つけるんだよ」と言って、画用紙にパステルで様々な色を重ねるよう言った。重ねた色の上からクギで絵を描くのだ。エッチングの練習だった。
日々色を重ねる内に不思議な色調が表れた。先生は非常に喜んで「いい色だ!ゆりちゃんの色だ!」といった。柔らかな青みがかったグレーとでもいおうか…
それからそれを背景色に使ったり、様々な試みをするようになった。
自分の色をみつけてから先生にかじりつくのをいつのまにかやめた。
絵画教室をやめる日、先生は「ゆりちゃん、誰にもマネできない自分だけの色を見つけるんだよ」とまたおっしゃって目をしばたかせた。
私はそのころには随分大きくなっていたけれど、また先生の背中におんぶしたくなった。
絵の具がこびりついてぼろぼろのセーターから出ているずんぐりした首にかじりつきたくなった。
それなのに「うん」といって鼻水をすすることしかできなかった私。
先生は幼少時の私が甘えることができた、たったひとりの男の人だった。
「誰にもマネできない自分だけの色を見つける」は私の人生の指標となった。
.
|